Otsu Matsuri 2025 — Yomiya

10月11日土曜の午後1時前に駐車場(タイムズ大津三井寺町)に車を停めました。山建ての日にこの駐車場が安いことを確認済みでした。目的地まで徒歩で少し距離があります。

湯立山を所有する旧玉屋町に到着すると、宵宮曳きがちょうど始まろうとしていました。山建て直後に行われた湯立山の曳き初めに参加したので、今日は源氏山の宵宮曳きに参加しよう。

大津祭が開催される大津中心部は子供の人口が増加しているそうです。毎年のように新しい大型集合住宅が建設されます。

源氏山のからくり人形。

郭巨山は少し離れたところで山建てをしたようです。

狸山のからくり人形。

上平蔵町にあった私の生家にも竈があったのを覚えています。

狸は屋根の上。

曳き初めと同様、百石町通りで湯立山と源氏山が横に並びます。

西に向かう源氏山。

この辺りは微妙な上り坂になっているので、曳き手として参加しました。

私の右におられるのは源氏山の山方棟梁。いずれは松井工業が引き継ぐそうです。

宵宮曳きが終わると、宵宮飾りが始まります。

提灯をぶら下げる際に必要な柱をこれから立てるようです。

祇園祭でもこのような設備が道路に設置されています。

提灯はロープで引き上げるようです。

電球が入っている木箱には「宵山飾り大吊り電球」と書いてある。大津祭では宵山のことを宵宮ということが多いです。宵宮の囃子が「宵山」です。

東側の提灯が立ち上がりました。

西側も。今夜は雨の心配はなさそう。

湯立山の宵宮飾りは終了していました。

猩々山がある浜通りを西に向かい、駐車場の方角へと進みました。

途中で孔明山によって。

さらに最も西にある石橋山に立ち寄ると、囃子が始まっていました。石橋山の模型、昭和2年10月製作と書いてある。なんと98年も前。祖父母の時代になります。私の父方、母方共に祖父母は大津祭が行われる大津中心部で暮らしていたはずです。そんな祖父母の時代に作られた模型が状態よく残っていることに驚きました。

石橋山では宵宮に所望の練習をしていました。

Otsu Matsuri 2025 — Procession Morningへと続く。
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Otsu Matsuri 2025 — Trial Run

猩々山

天候が良ければ早朝から出かける予定でしたが、今日は夕方までずっと雨の予報だったので、昼から出かけることにしました。

猩々山

山建ての際に貴重な材が雨で濡れないようにブルーシートがかけられています。中央小学校敷地内にクレーン車を駐車させてロープを引っ張っている。

湯立山

湯立山のシートはこんな感じ。私は鈴鹿サーキットで入手した合羽とワックスを塗布した防水バケツハットを着用。今年はカメラ機材を用意していません。

湯立山

去年は早朝6時過ぎ頃から山建ての様子を写真撮影しました。

湯立山

順調に山建てが進んでいるようで、午後2時頃から曳き初めが始まります。

西行桜狸山

狸山の前を通って、天孫神社へ。

天孫神社の神輿

神輿の蔵出しは終了していました。

源氏山

京町通を西へと進み、源氏山へ。

源氏山

この辺りは路面が石畳、電柱がなく、電線は地下に埋めている。

数年前から源氏山の山建ては松井工業が担当されています。私の左が松井社長、右が娘婿。電線がないので、ブルーシートをかけるところがなく、山建てはブルーシートなしでやったそうです。屋根上に登った時、足元が滑って怖い思いをしたと言われていました。

殺生石山

中町通を東に戻り、曳き初めが始まった湯立山を追いかけました。

車を停めた大津幼稚園前の駐車場辺りで湯立山の曳き初めに参加しました。

浜通りを右折すると県庁まで登り坂になっており、曳き手不足になりがち。

滋賀県庁前の登り坂

この坂はきついので、体力消耗します。湯立山は13基の中で最も重いのではないだろうか。

湯立山

県庁前を右折して百石町通りに出ると、後は道が平坦か下りになっています。

湯立山

中町通を後退しながら玉屋町へと戻ります。

湯立山

ブルーシートの下に戻りました。

Otsu Matsuri 2025 — Yomiyaへと続く。

Otsu Matsuri 2025

JR大津駅前

今年(2025年)の大津祭は以下の日程で開催されます。

鬮取り式:9月16日(火)
山建て:10月5日(日)08:30 ~ 15:00(曳初め)
宵宮:10月11日(土)夕刻 ~ 21:00
本祭:10月12日(日)09:00 ~ 17:30

伝統的な建築、木組みや木材に関心がある私にとって、見学していて最も興味深くて面白いと思うのは本祭の前週日曜に行われる山建てです。囃子方として幼い頃に曳山に乗っていた私も早朝から行われる三輪部分の組み立てを見たのは去年が初めてでした。

曳山を所有する各町により異なりますが、湯立山の場合、山建ては早朝の午前6時前頃から始められます。

下の長編動画は昨年撮影した湯立山の山建ての様子

Toji Kobo Flea Market — Part 7

7月21日、いつものようにminority318さん宅に車を停めさせていただき、朝から東寺弘法市へ。週末の弘法市にしては人が少なめなのは連休最終日であることと早めの午前9時頃であること、そしてとにかく暑すぎることがその原因だろう。

西門から境内に入って最も遠い場所で出店されている、品数豊富ないつものおじさんの店に真っ直ぐ。目に留まったのがこの小型の卓上ボール盤。これまで私はボール盤を所有したことがなく、安く手に入れることができるのなら欲しいなあと思っていました。

本体の目立つ位置にメーカー名の刻印がないので、膝を地面につきながらちょっと痛い思いをして銘板を見ると、製品名がTOPMIGHTY TM-65Sで製造年が1992年、台湾製であることがわかりました。

なんでも安く売ってくれるので、二千円ぐらいかなと思いながら価格を尋ねると、なんと七千円のところを五千円にすると言われました。有名なメーカー品であれば、33年前に製造された中古品でも五千円の価値はあるかもしれないけれど。

諦めようとしていると、「いくらと思ってましたか?」と逆に問われたので、正直なところ指二本ぐらいと示したらそれはないという表情をされました。そこでもう一本指を付け加えたら、交渉成立となりました。会えば挨拶するほど親しくなったおじさん相手に価格交渉したのは初めて。

小型の卓上型ボール盤とはいえ、重くて大きいものを持ち歩く体力はないので、代金を支払って取り置きしてもらいました。あまりの暑さが原因で熱中症の初期症状が現れたので、南大門(正門)の日陰で休憩することにしました。しかし腰掛けるところもないし、困ったなあと思い、立ったまま門柱にもたれて休憩していると、祇園祭のような囃子が聞こえて来ました。最初、どこかにスピーカーがあって、祇園祭の囃子を鳴らしているのかと思いましたが、よく聞くと、それは祇園祭の囃子ではなく、大津祭の囃子でした。

笛を吹いていた人は、露店名が「ふえや」という店のお客さんでした。桃山がある丸屋町に実家がある人で笛を吹いたり、太鼓を叩くことを趣味にする笛や太鼓のコレクターだそうです。煤竹で作られた笛を愛用しているそうで、なぜか太鼓のバチも持参するちょっと変わった人でした。(大津祭で使われる笛は龍笛と呼ばれる横笛で、樹脂製が一般的だと思われます。)母校が私と同じ中央小学校ですが、私よりも4才年上と言われていました。

卓上ボール盤を入手したおじさんから同行者はこのガラス製の皿、6枚も入手したそうです。

Toji Kobo Flea Market — Part 8へと続く。
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Ryukoku Extension Lecture on Otsu Matsuri in partnership with Otsu City

龍谷エクステンションセンター(REC)が大津市と提携する公開講座、「令和7年度おおつ学大津人基礎講座(1)大津祭曳山の魅力 曳山巡行を楽しむ学び」が来週の土曜、7月26日、午前10:00 ~ 11:30に大津市役所新館7階大会議室で開催されます。講師は大津市文化財保護課の和田光生氏。詳しくはリンク先をご覧ください。

今年の大津祭本祭は2025年10月12日(日)に開催される予定です。

関係者からの依頼を受けての告知です。私は龍谷エクステンションセンター(REC)で過去にTOEIC、翻訳(英日/日英)講座に講師として従事したことがあります。その龍谷エクステンションセンターが、幼い頃から親しみがある大津祭に関する講座を開催するとなれば、告知しない訳には行きません。

Otsu Matsuri 2024 — Procession (曳山巡行)

また朝5時前に起床し、湯立山所有の旧玉屋町に到着したのが午前6時頃。こんなに朝早くからすでに笛を除く、囃子方が曳山に乗って宵山囃子をドン、ドン、チキチン。昨夜の宵宮から夜通し鳴らしていたのか?と思うほどの早朝から。どうやら湯立山だけが朝6時頃からやるのが慣わしになっているとか。

今朝は大津祭に特徴的なからくり人形を曳山に載せるところから撮影したいと申し出ていたので、早朝から撮影することになりました。湯立山専属のカメラマンになった気分です。

曳山の下の方に設置した木製梯子からちまきや手拭いを入れた紙袋を持って、囃子方が順に山に乗るシーンを撮影していて、半世紀前の自分の記憶がまざまざと蘇りました。当時はちまき一本が100円ぐらいでしたが、今は300円以上もするそうです。曳山巡行中のいつでも好きな時に投げれたので、一人、100本ぐらいは持っていたように記憶しています。

巡航中の上の動画では、私の母校である中央小学校敷地内から撮影したクリップが含まれます。同行者が言っていたように、ゆったりとした囃子で背景に町屋が映っているので、祇園祭のようです。

昼過ぎに大津祭の撮影を切り上げて、夕方にC/2023 A3 (Tuchinshan-ATLAS)の撮影に出かけるために早めに自宅に戻りました。

Building Otsu Matsuri Yutate-Yama — Part 2

大津祭湯立山の山建ての様子はNikon D7000三脚固定によるインターバル撮影の他にiPhone 12 miniでも同行者が静止画及び4K動画を撮影していました。その静止画と動画をPhotosとiMovieで編集したものが上の長編動画。4KからHDに画質を落としてYouTubeにアップロードしました。

私にとって、この大作とも言える長編動画は合計で50分34秒、容量が5.74GB。(上の動画はどちらかといえば、大津祭の関係者やコアなファン、あるいは軸組工法に興味がある人を対象としています。それ以外の人にとっては退屈なだけかもしれません。)

金属製の釘やビスなどの金物を基本的に使わず、金物の代わりに木製のダボや込み栓、枘、縄を使った軸組工法で建てる大津祭の曳山。400年近くに渡る日本の伝統技術を後世に伝承するための資料映像の一部となれば良いと思っています。車輪が三つの三輪車である大津祭の曳山は現在、13基ありますが、その建て方は大体同じ。

画質を4Kに設定した動画撮影時に同行者のiPhoneが容量不足となり、急遽、私のiPhoneで続きを撮影する事態に陥りました。大きな動画ファイルをMacに取り込んでiMovieで編集していると、今度はMac miniの容量が不足しているという警告が現れて先に進むことができずに困りました。iMovie Libraryの容量を確認すると、いつの間にか容量が140GBとかになっている。

iMovie Settings > Render Files

調べた結果、Mac miniの容量を必要以上に食っているのはiMovieの編集時に使われるRender Files(レンダーファイル)でした。このファイルをSettingsで削除(Delete)することにより、容量を解放することができました。編集にレンダーファイルが必要になれば、また自動的に読み込まれるので、大事な動画ファイルが消失するわけではない。

上のiMovie Settingsで”Photo Placement”が”Crop to Fill”になっていますが、これはタイムラプス(微速度撮影)用の設定。

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Otsu Matsuri Yutate-Yama Trial Run

山建て後の安全確認と練習を兼ねて行われる、湯立山の曳き初めに参加しました。大津祭で曳山の綱を引くのは半世紀ぶりぐらいでしょうか。朝早くから山建ての撮影、そして曳き初めに参加したことにより、旧玉屋町で診療所を営む開業医の同級生とも半世紀ぶりに再会しました。

町内だけではなく中町通を北に進んで中央大通りを琵琶湖方面へ。浜通りを南に進み、私の母校である中央小学校の前を通って、県庁前から天孫神社前まで行ったところで休憩。その後、また中央大通りを経由して中町通を後退しながら地元に戻るというまあまあ長い行程でした。前輪を持ち上げて浮かすことにより、容易に辻回し(交差点での方向転換)ができる三輪車特有の利点を生かす大津祭の曳山はスピード感があって面白い。

Building Otsu Matsuri Yutate-Yama — Part 1

大津祭本祭のちょうど1週間前の10月6日は山建ての日。湯立山の山建ての様子をタイムラプス(微速度撮影)で記録したいと思い、湯立山を所有する旧玉屋町に実家がある囃子方のK氏(同居人の元同僚)に相談しました。山建てが始まる朝の6時に来てくださいとのことで、K氏実家宅に6時頃に到着しました。

私が三脚固定のNikon D7000によるインターバル撮影を担当し、同行者がiPhone 12 miniによる静止画と動画を手持ち撮影することになりました。最初はちょっと遠慮して少し離れた場所にカメラを設置しました。ピントがオートフォーカスではなく、マニュアルになっていたことに気づかずに1分間隔で数十枚も撮影しました。

結果、玉(車輪)を蔵から出して車台の部分を組み立てる段階の画像はすべてiPhone 12 miniで撮影したことになります。

私は幼い頃からずっと大津祭に携わっていますが、大津祭に特徴的な三つの車輪を組み立てる過程を見るのも撮影するのも初めてです。

こういう画像を見るのも初めて。嘗て玉屋町の責任者を務めていたK氏お父さんによると、車輪とシャシー(車台)に使われている材は赤樫だそうです。曳山を所有する各町内で、彦根の某所に植っている、将来交換時に伐採するであろう赤樫の木に札を付けて予約しているとのこと。木材博物館によると、アカガシは気乾比重が0.87の「非常に硬い」木。中には気乾比重が1.0を超えるものもあるそうで、伐採予約している彦根の赤樫もそうした非常に硬い木かもしれません。

黒地に白の「湯」を着用した人は町内の関係者。白地に黒の「湯」を着用した人は山方と呼ばれる大工さん。

一階フレーム部分の材は桧。

桧のフレームは釘やビスを使わない軸組による在来工法で組み立てられます。

それぞれの部材を組み立てる際に重要なのが部材の向き。湯立山は東が曳山の後方、西が前方になるようにして組み立てられます。南北に関しては北が「琵琶湖側」、南が「山側」という表現が使われます。どっちの方向に琵琶湖があるのか、地元の人なら絶えず意識しているということです。

四隅の柱4本は通し柱。

縄が使われる部位は意外と少ない。車台の上に載せた4本の通し柱をフレームに固定するために縄で縛ってある。

屋根に登って作業するのは工務店の若い棟梁。

一気に大屋根の組み立てまで進みました。

湯立山に特徴的な小屋根が取り付けられます。この「小屋根」と呼ばれる部位は天孫神社(四宮神社)の回廊を模したものだそうです。

車台の上に載せる柵状のこの部材、物凄く重そうでした。樹種は何だろう?

黒檀や紫檀のようにも見えます。

昼前に山建てがほぼ完成しました。

5時間以上の間にインターバル撮影した300枚以上の静止画をタイムラプス動画に加工する際にiMovieを使いました。以前はちょっと複雑な設定が必要でしたが、現在の最新バージョンであるiMovie 10.4.2では最も簡単に動画に加工することができます。Photosから読み込んだ静止画像のクリップをタイムラインにドラッグして、それぞれのクリップの長さを0.1秒とか0.5秒とかの好みの長さに指定するだけでタイムラプス動画が完成します。

Building Otsu Matsuri Yutate-Yama — Part 2へと続く。

Otsu Matsuri 2024

今年の大津祭日程を記しておきます。山建:10月6日(日)、宵宮:10月12日(土)、本祭:10月13日(日)。C/2023 A3 (Tsuchinshan–ATLAS) の近地点が10月12日なのでちょうど、大津祭の時期と重なります。

Shot on Oct. 13, 2019

今年の特記事項はもう一つあります。11月にロンドンにあるJapan Houseで大津祭が展示披露されるそうです。

Otsu Matsuri Procession 2023

iPhone 12 miniで撮影した2023年度大津祭本祭午前の動画をiMovieで編集し、YouTubeにアップロードしました。第一部の動画では四宮神社前を北上し、京町通で東に向けて辻回しする様子を撮影しました。iPhoneのレンズは腰の高さ(子どもの目線)としました。釘を使わずに縄で締めた曳山は動くとミシミシと音がします。この音が何とも言えない心地よい快感をもたらします。

第二部は昼の休憩地点である駅前大通りに集まる13基の曳山を撮影しました。登り坂や宵山のお囃子に移行する曳山もあり、猩々山は停止させて粽を撒いています。

Otsu Matsuri 2023

今年の大津祭開催スケジュール:
10月1日(日)山建 9:00 ~ 15:00
10月7日(土)宵宮 17:00 ~ 21:00
10月8日(日)本祭 9:00 ~ 18:00

去年は郭巨山(釜掘山)が休山しましたが、今年は13基すべての曳山が参加するそうです。今年は4年ぶりに制限がない通常開催となると思っていましたが、滋賀県警大津署が「ちまき撒き」は道路交通法違反の可能性があるとして、道路使用許可を出す条件として、「ちまき撒き」の中止を要請したとの報道がありました。アホなことを言い出した大津署の要請は無視して、伝統行事を執り行うべきです。旧駅前通りを下りる戻り山の頃には囃子手も曳手も飲酒する人がいますが、軽車両を操る人の飲酒はどうなのってことにもなります。道路交通法を適用すること自体が矛盾の根源です。

Otsu Matsuri Procession 2022

タイムズ駐車場検索Appを頼りに大津駅周辺の空車ありのタイムズ駐車場を検索すると、見つかった駐車場が昨夕に食事したロイヤルホストのすぐ近くでした。土日祝日の最大料金が500円と格安。

今日は午後から雨の天気予報だったので、曳山が集合する天孫神社前に早めの午前9時頃に到着しました。午後2時から始まるF1日本グランプリをTV観戦する予定です。

合羽着用の狸

天孫神社前では最初の所望が行われます。鳥居のすぐ下に陣取って動画撮影することにしました。先頭の西行桜狸山がやって来る前に、所望が行われる鳥居前に集まる人は大津祭の曳山巡行を見慣れた人です。少し、遅れてやって来た人と会話して、少々驚きました。その女性は東京からやって来て昨夜から天孫神社近くのホテルに宿泊しておられるとのこと。

今年、休山した郭巨山のこともご存知でした。郭巨山のCDも所有されているマニアックな方でした。午前と午後で囃子方の衣装が変わり、通行場所と時間帯によって囃子も違うことを知っておられる。祇園祭を観るために東京から泊まりがけでやって来られる方は少なからずおられますが、全国的には知名度がないに等しい大津祭に遠路はるばるやって来るとは!

昔は雨が降る日は分厚いテント地の雨除け用の覆いを取り付けていましたが、最近は透明のビニールなので、見栄えがそれほど損なわれない。

からくりがわかりやすい西王母山。(通称、桃山)

12基すべての所望を撮影した後、大津駅に隣接する「金亀庵」で早めの昼食を終え、中央大通りに集結する曳山を撮影。

古いにも程がある江戸時代のカメラをお持ちの方がおられました。銀板写真を撮影するものだと思います。今日は複数の偏固(モノマニアック)レベルのマニアに会うことができました。

動画視聴はパケット消費するのでご注意ください。

私も小学生の頃に乗っていた郭巨山(通称、釜掘山)が今年休山したのは、町内で意見がまとまらなかったことが理由だそうです。一昨年と去年は新コロ騒動を理由に中止したのに、感染者(陽性者)数が増している今年、なぜ開催するのかわからないとのことです。尤もな意見だと思います。この町内にもモノマニアックな方(偏固)がおられるのでしょう。

そもそも存在するかどうかもわからないSARS-CoV-2を病原とする新型コロナ感染症の対策は矛盾に満ちています。3年ぶりに開催された今年の大津祭は主催する関係者も見物する人も、ほぼ全員がマスク着用でした。マスクをしない人は私以外に誰一人として見かけることはありませんでした。

Otsu Matsuri Yoimiya 2022に戻る
Otsu Matsuri 2022 — Part 1に戻る。

Otsu Matsuri Yoimiya 2022

今年も3年ぶりに開催されたF1日本グランプリと大津祭の日程が重なりました。F1予選を生中継でTV観戦した後、自宅を出たのが夕方5時前。渋滞を回避するGoogle Mapsのナビ通りに進んで、JR大津駅前でahiruさんと合流したのが午後6時過ぎ。

先に夕食をと思い、ロイヤルホストに入店したのが間違いでした。注文してから高くて美味しくない食事が届けられるまで40分ぐらい、待たされました。結局、1時間以上も時間を失い、やっと見つけた駐車場に到着したのが午後8時ごろ。3年ぶりの大津祭宵宮は最近では記憶にないほどの人混みでした。近くの駐車場がほぼすべて満車になるなんて、あり得ない。

12基全部、動画を撮影する計画でしたが、間に合いそうにない。

西宮蛭子山は、地元民は鯛釣山と呼んでいます。白地に赤い鯛を配う長襦袢が実家のどこかに今もあるはず。

満月と木星が写っている源氏山。

龍門滝山の見送りもゴブラン織の重要文化財。大津市と滋賀県から補助金が出ているようです。

提灯の撮影は難易度が高いはずですが、スマートHDR 3搭載のiPhone 12 miniならバカチョンモードでいとも簡単にこんなに綺麗に撮れる。今夜もデジイチは出番がないのがわかっていたので、持参したのはポケットに入れたiPhoneだけ。

まだ9時前ですが、神功皇后山は囃子が終わっている。

本祭の明日は午後から雨模様の予報。合羽を着た狸が見れそうです。

丸屋町アーケード内の西王母山も囃子が終了していました。

動画はiPhone 12 miniを使って4Kで手持ち撮影し、iMovieで編集して解像度、1920 × 1440に落としたファイルをYouTubeにアップロードしました。

Otsu Matsuri Procession 2022へと続く
Otsu Matsuri 2022 — Part 2に戻る

Otsu Matsuri 2022 — Part 2

3年ぶりの大津祭は山建て+曳き初めから本祭に至るまでフル参戦の予定です。今回は5年前にオープンした「フレンドマート大津なかまち店」の駐車場に車を停めました。駐車料金が09:00〜20:30 30分/200円、最大料金600円は安い。

孔明祈水山(1694年創建)

まずは駐車場から最も近い中堀町の孔明祈水山。

孔明祈水山(1694年創建)

基本的に釘は使わない組み立て方は祇園祭の鉾と同じ。どの山も二階建てになっていますが、一階部分で平均的な身長の大人が立つことは不可。小学校低学年の頃、祖母が住んでいた白玉町の西宮蛭子山に幼い私は乗っていました。当時は鐘を叩く子供の数が多く、二階に上がって鐘を叩くのは交代制でした。この薄暗い一階部分で順番待ちしていたのを覚えています。

西王母山(1656年創建)

アーケードとなっている丸屋町商店街は一部の店舗を除き、現在はシャッター街となっています。昭和40年代は賑わっており、特に土曜の夜市は人でいっぱいでした。

源氏山(1718年創建)

旧東海道の京町通には西から月宮殿山、源氏山、今年休山する郭巨山、西行桜狸山と4基あります。道路が石畳となっているのは上の月宮殿山と源氏山の町内。

石畳の京町通は電線も地中に埋めてある。

月宮殿山(1776年創建)

上京町の月宮殿山のすぐ前には同級生の実家があります。

天孫神社(782年創建)

JR大津駅に隣接するビル1階で蕎麦定食を食べてから、大津祭を主催する天孫神社に立ち寄りました。子供の頃はこの神社を四宮と呼んでいました。

山建ての日は神輿の準備をするようです。

西行桜狸山(1635年創建)

鍛冶屋町の西行桜狸山は3年ぶりの山建てに手こずっているように見えました。

COVID-19抗原検査キットの空箱がこんなところに。

猩々山(1637年創建)

我が母校、大津市立中央小学校のすぐ前を拠点とする南保町の猩々山。昭和40年代は休山中でした。

龍門滝山(1717年創建)

鯉が登る滝を取り付けた太間町の龍門滝山。ここにも同級生の実家があるはず。

殺生石山(1673年創建)

屋根形状は少なくとも三種類はあると思いますが、柳町の殺生石山は切妻屋根。天井を張らずに化粧屋根裏となっている。

湯立山(1663年創建)

山建てが素早い玉屋町の湯立山は曳き初めが始まりました。

この町内にも同級生がいると言うか、13基の曳山を所有する全ての町内に同級生の実家があるはずです。私の記憶に残るのは男子ばっかり。今なお大津祭の曳山には囃子手として女子は乗ってはならないという習わしがあります。

神功皇后山(1749年創建)

猟師町の神功皇后山は本祭の時とほとんど変わらない曳き初め。

暑いので長袖のシャツを脱いで、iPhoneで動画撮影中。

西宮蛭子山(1658年創建)

なぜか、テントで屋根を覆う白玉町の西宮蛭子山。

大事な構造材がシロアリにやられているように見える。修復すべきでしょう。枘が浮いているのも気になる。

石橋山(1705年創建)

石橋山を所有する湊町は浜通りの最も西側に位置します。町名から察すると、この辺りに大津港があったのでしょうか。

駐車場に戻る前にもう一度、孔明祈水山に寄ったら、からくり人形の修復が完了し、100年ぶりに首が動くようになったという将軍、趙雲がなぜか山建ての日に曳山に乗っている。

Otsu Matsuri Yoimiya 2022へと続く。
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