大津祭本祭当日は今年で創立137年になる大津で最も古い幼稚園、大津市立大津幼稚園の向かいにある駐車場に車を停めました。私はこの大津幼稚園の卒園生です。先週の山建ての日にも利用したこの駐車場は、日曜祝日の午前7時から午後7時まで12時間利用しても最大駐車料金500円です。
浜通りから中町通りに移動してすぐの旧玉屋町の湯立山は今年の巡行順が13基目で最後の曳山になります。集合場所の天孫神社前がすぐ近くなので、出発まで待機中でした。
京町通りの源氏山町内に移動。
まもなく出発します。
源氏山の山方を担当するのは松井工業株式会社。湯立山同様、ご縁があって我々は源氏山でも関係者並みの扱いをされます。
中町通りの湯立山に戻りました。
巡行順が最後の湯立山が出発します。先頭に立つのが湯立山責任者。
天孫神社前に13基の曳山が集まりました。
浜通りにある松井工業株式会社の本社ビル敷地内で、関連会社の愛和グループホーム入居者とデイケアを利用するお爺ちゃんお婆ちゃんたちが曳山がやって来るのを待機中。
社長にどうぞお入りくださいと言われ、ここでも関係者待遇。
西宮蛭子山(鯛釣山)の責任者も大津市立中央小学校の同級生らしい。幼い頃に一緒に鯛釣山に乗って鉦を叩いていたはずですが、半世紀も経っているので全くわからない。
昼食は近くの豆藤で。大津祭の日は特別に二階が開放されるそうです。祖母の時代から利用している豆藤は調べたら創業が大正11年。お惣菜のお店です。大津らしい味付けで、京都の味付けとほとんど同じ。
鯉山の責任者も同級生らしい。宵宮の昨夜は同級生がLineのグループチャットを運営していて、同窓会を企画していたようで、通知音がうるさいほど。
昼休みの頃に天孫神社の神輿が中央大通りから中町通りへと進みます。
午後は中央大通りに設けられた有料観覧席背後に陣取りました。私の隣にいるご婦人は大津駅近くの末広町出身で、久しぶりに奈良から大津祭を観るためにやってこられたそうです。曳山の囃子の中でも湯立山の囃子が好きだと言われていました。
小雨が止んでから京町通りに戻りました。やはり、石畳は良い。電線が埋設されているのも。石畳の区域をもっと広めれば良いと思いますが、観光客が殺到して困る人もいるかもしれない。
鶴亀山の町内にも同級生。
戻り山は旧駅前通りで撮影。13基目の湯立山が寺町通り解散場所に到着する頃は提灯必須の暗さ。
これまでに何回も大津祭を観ていますが、午前7時過ぎから午後7時前までいたのは、曳山に囃子方として乗っていた頃を除いて、初めてかもしれません。湯立山が町内に戻ったら、すぐ隣の町内が所有する神功皇后山が待ち構えていました。しばらく囃子合戦した後、今度は湯立山が神功皇后山の方に移動して、また囃子合戦。これはしきたりだったのでしょう。知らなかった。
今年、気付いたことがもう一つあります。天孫神社との繋がりが特別な曳山である湯立山の囃子方は、ホッ、ホッ、ホッホーとか言って見物人を盛り上げるような行為はしないということ。解散場所での挨拶もしないという独自の伝統的な方針を堅守しているように思えます。
この頃になるとiPhoneの容量が足りなくなり、動画撮影できなくなりました。


















