Otsu Matsuri 2025 — Yomiya

10月11日土曜の午後1時前に駐車場(タイムズ大津三井寺町)に車を停めました。山建ての日にこの駐車場が安いことを確認済みでした。目的地まで徒歩で少し距離があります。

湯立山を所有する旧玉屋町に到着すると、宵宮曳きがちょうど始まろうとしていました。山建て直後に行われた湯立山の曳き初めに参加したので、今日は源氏山の宵宮曳きに参加しよう。

大津祭が開催される大津中心部は子供の人口が増加しているそうです。毎年のように新しい大型集合住宅が建設されます。

源氏山のからくり人形。

郭巨山は少し離れたところで山建てをしたようです。

狸山のからくり人形。

上平蔵町にあった私の生家にも竈があったのを覚えています。

狸は屋根の上。

曳き初めと同様、百石町通りで湯立山と源氏山が横に並びます。

西に向かう源氏山。

この辺りは微妙な上り坂になっているので、曳き手として参加しました。

私の右におられるのは源氏山の山方棟梁。いずれは松井工業が引き継ぐそうです。

宵宮曳きが終わると、宵宮飾りが始まります。

提灯をぶら下げる際に必要な柱をこれから立てるようです。

祇園祭でもこのような設備が道路に設置されています。

提灯はロープで引き上げるようです。

電球が入っている木箱には「宵山飾り大吊り電球」と書いてある。大津祭では宵山のことを宵宮ということが多いです。宵宮の囃子が「宵山」です。

東側の提灯が立ち上がりました。

西側も。今夜は雨の心配はなさそう。

湯立山の宵宮飾りは終了していました。

猩々山がある浜通りを西に向かい、駐車場の方角へと進みました。

途中で孔明山によって。

さらに最も西にある石橋山に立ち寄ると、囃子が始まっていました。石橋山の模型、昭和2年10月製作と書いてある。なんと98年も前。祖父母の時代になります。私の父方、母方共に祖父母は大津祭が行われる大津中心部で暮らしていたはずです。そんな祖父母の時代に作られた模型が状態よく残っていることに驚きました。

石橋山では宵宮に所望の練習をしていました。

Otsu Matsuri 2025 — Procession Morningへと続く。
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