Otsu Matsuri 2022 — Part 2

3年ぶりの大津祭は山建て+曳き初めから本祭に至るまでフル参戦の予定です。今回は5年前にオープンした「フレンドマート大津なかまち店」の駐車場に車を停めました。駐車料金が09:00〜20:30 30分/200円、最大料金600円は安い。

孔明祈水山(1694年創建)

まずは駐車場から最も近い中堀町の孔明祈水山。

孔明祈水山(1694年創建)

基本的に釘は使わない組み立て方は祇園祭の鉾と同じ。どの山も二階建てになっていますが、一階部分で平均的な身長の大人が立つことは不可。小学校低学年の頃、祖母が住んでいた白玉町の西宮蛭子山に幼い私は乗っていました。当時は鐘を叩く子供の数が多く、二階に上がって鐘を叩くのは交代制でした。この薄暗い一階部分で順番待ちしていたのを覚えています。

西王母山(1656年創建)

アーケードとなっている丸屋町商店街は一部の店舗を除き、現在はシャッター街となっています。昭和40年代は賑わっており、特に土曜の夜市は人でいっぱいでした。

源氏山(1718年創建)

旧東海道の京町通には西から月宮殿山、源氏山、今年休山する郭巨山、西行桜狸山と4基あります。道路が石畳となっているのは上の月宮殿山と源氏山の町内。

石畳の京町通は電線も地中に埋めてある。

月宮殿山(1776年創建)

上京町の月宮殿山のすぐ前には同級生の実家があります。

天孫神社(782年創建)

JR大津駅に隣接するビル1階で蕎麦定食を食べてから、大津祭を主催する天孫神社に立ち寄りました。子供の頃はこの神社を四宮と呼んでいました。

山建ての日は神輿の準備をするようです。

西行桜狸山(1635年創建)

鍛冶屋町の西行桜狸山は3年ぶりの山建てに手こずっているように見えました。

COVID-19抗原検査キットの空箱がこんなところに。

猩々山(1637年創建)

我が母校、大津市立中央小学校のすぐ前を拠点とする南保町の猩々山。昭和40年代は休山中でした。

龍門滝山(1717年創建)

鯉が登る滝を取り付けた太間町の龍門滝山。ここにも同級生の実家があるはず。

殺生石山(1673年創建)

屋根形状は少なくとも三種類はあると思いますが、柳町の殺生石山は切妻屋根。天井を張らずに化粧屋根裏となっている。

湯立山(1663年創建)

山建てが素早い玉屋町の湯立山は曳き初めが始まりました。

この町内にも同級生がいると言うか、13基の曳山を所有する全ての町内に同級生の実家があるはずです。私の記憶に残るのは男子ばっかり。今なお大津祭の曳山には囃子手として女子は乗ってはならないという習わしがあります。

神功皇后山(1749年創建)

猟師町の神功皇后山は本祭の時とほとんど変わらない曳き初め。

暑いので長袖のシャツを脱いで、iPhoneで動画撮影中。

西宮蛭子山(1658年創建)

なぜか、テントで屋根を覆う白玉町の西宮蛭子山。

大事な構造材がシロアリにやられているように見える。修復すべきでしょう。枘が浮いているのも気になる。

石橋山(1705年創建)

石橋山を所有する湊町は浜通りの最も西側に位置します。町名から察すると、この辺りに大津港があったのでしょうか。

駐車場に戻る前にもう一度、孔明祈水山に寄ったら、からくり人形の修復が完了し、100年ぶりに首が動くようになったという将軍、趙雲がなぜか山建ての日に曳山に乗っている。

Otsu Matsuri Yoimiya 2022へと続く。
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