A Trip To Kochi — Day 3

昨夜はホテルに戻ったら午後11時前になり、サウナ完備の大浴場を利用できず、3LDK(72㎡)の客室(703 Refresh Room)に設置されたバスルームを使用しました。(同行者は早朝に大浴場を利用したそうです。)このホテルの7階はコンドミニアム型VIPルームが4客室あり、IKEAのインテリアコーディネーターがコンセプト別に設計したそうです。この部屋にある家具や備品はすべてIKEAブランド。

コンドミニアム型VIPルームのベランダから早朝に撮影した高知市街。こちらで運転して気付いたことが一つ。高知ナンバーのドライバーはものすごくマナーが良い。我先にとアクセルを踏んで車間距離を詰める京都市街地ではマナーが日本一悪いというか、マナーがない無法地帯です。こちらの方は懐が深いのか、わざわざ後退してまでお先にどうぞです。

今年の1月に亡くなった義父と初めて会った際に、亡父が言っていました。「懐が大きい人や」と。人工密集地帯の京都市に隣接する大津百町(東海道最大の宿場町)育ちの亡父や私にとったら、考えられないほど度量が広い人でした。義父に特有の性格かと思っていましたが、どうやら高知の人は一般的にそうした性格の人が多いようです。

遅めの朝食を済ませてホテル客室に戻り、NHKの「趣味の園芸」を視聴。

テレビを観ていて出遅れましたが、日曜の朝は300年以上の歴史を持つ日曜市へ。新鮮で珍しい農産物がこじゃんとあるらしい。

義母が高知特有の土産物を物色している間に私はハンドメイドの工芸品を出品するお店の前で足が止まりました。これは一体なんだろうと思いながら興味津々。883工房の店主とお話しさせていただきました。上の画像に写っているのは線香やお香を立てる器だそうで、欅や山桜を旋盤を使って加工したものとのこと。穏やかな口調は私の木工師匠と似ている。

こちらは一輪挿し。地元高知県産の木材を使用しているそうです。

左手に持つアクセサリーホルダーと小さなお香立てを入手しました。いずれも樹種は欅で、蜜蝋を塗布しているらしい。無理して買わなくても良いですよと言われたらますます買いたくなるものです。

土佐内刃物を扱う柳川商店で楔3点を入手。

高知城の近くが日曜市の端っこ。

日曜市を訪れた午前中は曇っていて良かった。

昼食は初日の夕食を「さざなみ」でご馳走になった、歳が離れた同行者従兄弟夫婦と一緒。

鰹メインの土佐料理はこじゃんといただいたので、ランチは裕美さんが経営するスイーツとピッツアバーの店、1141 PASSAGEで。同じビルの隣には手打ちうどんのたも屋がありますが、こちらも経営者は同じ。

マルゲリータと魚介たっぷりのペスカトーラ?

これはかなり本格的?焦げた部分が香ばしい本物志向のピッツアでした。我々は思いっきり「中の人」になりますが、お世辞ではなくて美味いぜよ。

チーズが苦手(知らなかった)な義母は、わざわざチーズを取り除いて食べていたので、これは可哀想と思い、スイーツを選びにショーケースに行ったら、ここにも「バスクチーズケーキ」が並んでいる。裕美さんが言ってました。ここのバスクチーズケーキは自慢の商品だと。義母はフルーツケーキにしました。

トイレに行ったら、なんと隣の「たも屋」と共用であり、手打ちうどんのカウンターが見えていました。後で知ったことですが、「たも屋」で買った手打ちうどんをPASSAGE 1141の席に持って来て食べても良いらしい。知っていたら義母は手打ちうどんを選んだはずです。

店の外で記念撮影していたら、お店のお兄さんが店から出て来て写真を撮ってくれました。「おまん、(店の人に社長の親族であることを)言うちゅーか?」と尋ねられるほど、親切なお兄さんでした。

ピザとケーキをこじゃんと堪能した後、二日目に窪川で会った義母の姉の息子と娘(義母の甥と姪=同行者の従兄弟)と大丸の近くで待ち合わせしました。大丸の外で待っている間に、すぐ近くに昭和レトロな喫茶店があることに気付いたので、そこで会うことになりました。この店を選んだ時に天然木を加工したハンドメイドのベンチとスツールが目に入りました。

店内は正に昭和の香りがぷんぷん。

名物のウィンナーコーヒー。高知出身の誰もが知る著名人は坂本龍馬だけではない。ジョン万次郎、西川きよし、横山やすし、岩崎弥太郎、関勉(アマチュア天文家)、牧野富太郎など多数。

高知の路面電車は現役路線としては日本最古だそうで、ノルウェーやポルトガルの外国車両もあるそうです。意外と速いので右折時は要注意。

空港に向かう途中で地元の人も来るJAファーマーズマーケット、とさのさとに立ち寄りました。

レンタカーを空港近くで返却して、

伊丹空港行き最終便のANA 1616便に搭乗しました。池田市の義母宅を経由して自宅に戻ったら午後11時頃になりました。

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A Trip To Kochi — Day 2

OMO7高知16階の客室(1607)から見た早朝の景色。思っていたより高知市中心部は都会でした。これから長い一日が始まります。

午前7時過ぎには朝食会場へ。

前日に鰹のたたきをたくさんいただいたので、朝食は鰹以外で。クロワッサンが美味しい。

星野リゾートは無垢の木にこだわりがあるのか、あちこちに無垢材が使われている。

土佐犬は楠を加工したものだそうです。軟らかい楠は彫刻に向いている。

この新型Suzuki HUSTLERのボディーは触るとツルツルとして光沢がある。どんなコーティング剤を塗布しているのだろう?

3日間、レンタカーを運転して気付いたことが一つ。加速というか、トルクは最廉価モデルの自車の方が力強い気がする。ディスプレイオーディオはやっぱり欲しいかな。自力で取り付けるとなると、数日はかかりそう。

義母の実の姉が暮らす窪川へと向かいました。高岡神社の分社に義父の先祖を永代供養しているらしい。高知は仏教よりも神道の方が一般的なのか?

四駆でないと登れないと思うほどの急な坂の上に桧で建てられた分社がありました。

義母の姉宅に戻って、高知の郷土料理である豪華な皿鉢料理をいただきました。調べると、皿鉢料理は神事の際の儀式食が発展したものだそうで、やはり高知は神道が主流なのかと思わされます。画像には写っていない鰹のたたきや巻き寿司、刺身など4人では到底、食べきれない量がありました。姉と話す義母は「おまん」と「〜ちゅー」、「〜ぜよ」連発の土佐弁で、義母が暮らす大阪北摂では聞いたことがない言葉を話していました。

そして、義母の生誕地は樺太だったということを初めて知りました。Wikipediaによると、「日本本土の食糧確保のために農業移民が指向され、とくに1928年から1940年は集団移民制度が実施された」とあります。さらに調べると、「樺太土佐村」が樺太に存在したようです。義母が生まれたのは1939年なので、集団移民制度実施中になります。養父が樺太で馬に乗っていたと話していたことから推察すると、樺太の行政政府職員だったのかもしれません。同行者従兄弟の話によると、義母の父親は樺太で移住に関する仕事をしていたということです。

高知市内に戻る前にお土産を買いに、久礼大正町市場へ。義母の甥の同級生が経営するというここの鰹のたたきは特段に美味しいそうで、義母は大量のお土産を買っていました。クーラーボックスは持参していないので、この市場で買ったものの大半は宅配便で発送依頼したようです。

大正町市場の由来。

この日の夕食は、義母の血縁関係にはない姪(=同行者従兄弟)である、株式会社ラトゥールの代表取締役社長の裕美さんと華珍園別館での会食となりました。初日に出会った際に高知の郷土料理でお腹がいっぱいであることを伝えたら、リストアップされた飲食店の中から老舗の中華料理店である華珍園を選んでくれていたようです。

裕美さんは幼い頃から家族でこの中華料理店を訪れていたそうで、私にとっては1953年創業の浜大津あたか飯店のようなお店かもしれません。

4人で再会を祝って乾杯。私と義母以外(=裕美さんと同行者)は台湾ビール。義母はウーロン茶、私はノンアルコールのライチカクテル。裕美さんと同行者はビールを何杯もおかわりした後、冷酒らしきものも楽しんでいました。高知は酒豪が多いと聞いていましたが、それを実証するかのように、土佐の血が濃厚に入っている同行者と東京在住の姉や甥は、アルコール消費に関しては底なし間違いない。

フカヒレ醤油味スープ

メニューは裕美さんにお任せしたら、次から次へとどんどん運ばれてきます。

酸辣湯

酸辣湯は私の希望。Baskin Robbinsサーティワン5店舗を含む、飲食店フランチャイズ加盟店15店舗を高知市内で経営する裕美さんは食通でもあり、鼎泰豊台湾本店にも行ったことがあるそうです。

カニとレタスの炒飯

雑誌や地方紙に取材記事が何度も掲載されたことがある女性起業家の裕美さんは地元ではちょっとした有名人であり、従業員が150名近くもいるとか。

中国野菜のニンニク炒め?

名古屋味仙の台湾ラーメンや青菜のことも当然のように知っておられました。

大海老のチリソース煮

華珍園別館は外国人客も多いそうで、この日も何名かの団体客を見ました。

酢豚(甘酢)

酢豚は義母の希望。

肉団子の甘酢あんかけ

手羽先の唐揚げ

味仙の手羽先とは全然違って辛くなく、注文を受けてから揚げているようです。

いもの飴だき

浜大津あたか飯店では締めくくりにさつまいもの飴炊きを亡父がいつも注文していましたが、ベトベト感と味付けが似ている。

ラストオーダーまで華珍園で夕食を楽しんだ後、ホテルに戻ろうとしていたら、裕美さんからもう一軒行きましょうとのお誘いを受けて、徒歩数分の距離にある、看板が上がっていないバーにハシゴすることになりました。

ここはデザートのパンが特別に美味しいとのことで、おすすめのクロワッサンをいただきました。

A Trip To Kochi — Day 3へと続く。
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A Trip To Kochi — Day 1

伊丹空港の駐車場はまるで滑走路

高齢の義母が高知に久しぶりに里帰りすることになり、娘である同居人と私が付き添うことになりました。我々にとっても航空機での移動を含む国内旅行は久しぶりになります。

高知へと向かうANA 1605便は伊丹空港(大阪国際空港)南ターミナルから出発。

利用した航空機はプロペラ機であるボンバルディアDHC-8-400。プロペラ機に搭乗するのは明確な記憶にないほど久しぶり。微かな記憶があるのは、1990年頃にイリノイ州シカゴからメキシコのカンクンへと向かう際に乗り継いだ航空機の一機がプロペラ機だったように覚えています。

離着陸時の重力加速度(G)はジェット機と変わらないと感じました。

大鳴門橋

着陸時はジェット機のGを上回るのではないかと感じたほど、身体が前方に持って行かれました。6枚の羽の角度を調整することにより、ジェット機の逆噴射のような効き目があるそうです。

半時間ほどの飛行で高知龍馬空港に降り立つと、どこか南国の雰囲気が漂っていて、海外旅行をしているかのような気分になりました。言語学専攻の私は外国語や方言に興味があります。前世紀末に初めて高知出身の義父と会った時、義父が話す言葉を理解できたのは3割ほどで、残りの7割は推測でした。土佐弁は私にとってはフランス語や米語を理解することよりも難しいと感じたものです。今では9割以上は理解できます。

Budgetレンタカーを予約していました。

予約時に希望したSuzuki HUSTLERを借りることができました。鉄ちんのホイールがこの車には似合っている。オートエアコンにカーナビ、自動ブレーキなどのフル装備車ではありましたが、iPhoneのMaps利用時にカーナビ画面と連携させながら充電するためのUSB端子がどこにあるのかわかりませんでした。(返却時に聞いたら、グローブボックスの中にあることがわかりました。)Bluetooth接続で音楽とナビの音声案内は使用できました。

初日のランチは高知市内のホテルへと向かう途中で適当に選んだ店にしようと思っていましたが、Mapsのナビが高知自動車道を案内したので、どの店にも寄ることなく、結局目的地のホテル駐車場に着いてしまいました。ランチはその駐車場係員の方に教えてもらったひろめ市場に行くことにしました。

私は鰹の炊き込みご飯に鰹たたき定食。

義母は司食堂で鰹のたたき定食。

同行者は同じ司食堂でカキフライの定食。

昼食後に鏡川新月橋近くの親戚宅を訪問し、その後、予約していたホテル駐車場に戻りました。立体駐車場は車高の高低に合わせて2機ありました。

大人1〜4名までが泊まれる、「うたげスイート」は16階にありました。

広々とした部屋でした。

夕食は別の親戚(義母の姪=同行者の従兄弟)家族と共に帯屋町のさざ波で会食。

ここでも鰹たたき料理をご馳走になりました。

こちらはすだちと塩で。

このエビの唐揚げも絶品でした。

初日に鰹食べすぎた後は、ホテル客室に置いてあった土佐ブレンドのドリップコーヒーが美味かったぜよ。

A Trip To Kochi — Day 2へと続く。

Otsu Matsuri in the Early Summer — Part 1

親しくしている湯立山囃子方のK氏から送られて来た、ユネスコ無形文化遺産登録記念として例外的に初夏(6月20日と6月21日)に行われる大津祭湯立山曳山行事のスケジュールを添付します。

第5回大津百町まつりと同時開催のようです。丸屋町アーケード商店街に設置される曳山は湯立山と源氏山のニ基。暑い時期なので、衣装をどうするのか?未定だそうです。祇園祭のような浴衣は着れないし。



私が興味があるのは20日(土)の山建てです。曳山曳行に参加させていただく予定です。

Otsu Matsuri in the Early Summer — Part 2へと続く。

Kitano Tenmangu Tenjin Flea Market — Part 12

先月、車を停めた平野神社南の駐車場が満車だったので、今回はかごの屋南の名鉄協商パーキングに車を停めました。この辺りは天神さん特別日の料金設定がないので最大料金が比較的安い。

いつものように平野神社を横断して品数豊富ないつものおじさんの露店に直行。長辺側30センチ、短辺側10センチと短いちょっと変わったShinwaブランドの指矩とステンレス製タッピングねじを入手。直角の墨線を引く際に短辺側が長すぎることがあるので、このぐらいの長さが便利な場合もあります。二点で100円と言われましたが、200円支払いました。

帰り際にまたあれを見つけました。英語で"pike pole"、日本語で林業用鳶口。2、3年前からずっと探していて3月の東寺ガラクタ市でやっと見つけたものがその3ヶ月以内にまた別の店で見つかるとは!

店主は林業用の道具が多く出品される長野県まで仕入れに行くこともあると言われていました。価格を尋ねると、3,000円とのことで、その値で買う気満々でした。嘴部分と柄の間に隙間があり、その隙間を埋める竹の楔が何本も打ち込んでありました。こちらから値引きしていませんが、その部分が欠点と考えておられたようで、2,000円にしますって!

3月に入手したものと比べてちょっと重いかなと思いながら、林業用鳶口を肩にかけて上機嫌で駐車場に戻りました。

今回入手したものは、3点で2,200円でした。

3月に入手したものと比べると柄の長さが50ミリ長い。

嘴部分も50ミリ長くて全体的に大きくて重い。大径木の丸太を転がすにはちょうど良いかもしれない。

Kitano Tenmangu Tenjin Flea Market — Part 13へと続く。
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Flea Market at Adogawa Toju-No-Sato Roadside Station — Part 19

先月に引き続き、今月も第4日曜日は安曇川藤樹の里道の駅で開催される蚤の市へ。今回は初めて木工師匠同伴です。師匠が見るものは我々が見るものとは全然違う。ガラス製のこの小さな熱帯魚を購入されました。我々は実用品しか興味がないのですが、木工師匠は装飾品に興味があるようです。

同行者はこまそうさんの店で湯呑み茶碗を品定め。

私はBULLOXのステッカーが貼ってあるボールピンハンマーを。BULLOXはDOGYUのサブブランドであることがわかりました。帰宅してから調べるまで、この道具は片方が平頭、もう片方が丸頭の木工や建築で使う玄能だと思っていましたが、どうやら違うらしい。この形状のハンマーは基本的には鉄工で使うものだそうです。

そしてこの昭和レトロな義春刃物株式会社製造のペナントナイフ。柄の部分と鞘が真鍮製です。

こんな写真を撮る時は「買います!」の意思表示。

手作り品を扱うエリアで出店されているHappiness Roseさんの店では右上の大島紬ショルダーバッグと、

この手提げバッグを入手。蚤の市各出店者とも親しくなり、この日は2時間近くも道の駅で過ごしました。

Flea Market at Adogawa Toju-No-Sato Roadside Station — Part 20へと続く。
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Making Chopsticks — Part 29

先週の「かんじる比良」便乗出展直前に手元にある箸のランク付けをしました。ランク付けはAからCの3段階とし、品質に問題ありのCは出品を控えました。木工師匠宅で出展するわけですから信用を損なうわけには行かないと思ったからです。

この紫檀製の箸もランクはCとし、出品を控えました。鉋で削った際に逆目になり、表面に凸凹が残り、その部分が白っぽくなりました。

ヒシカ工業の木工用スクレーパーで削ってみると、凸凹がほぼなくなったので、ランクを一つ上げて、Bとしました。削る前と比べると、1ミリぐらいは細くなりました。それでも紫檀は硬い木なので、通常の使い方であれば折れることはないでしょう。磨けば光沢が出る紫檀、高級感がある箸の素材としては最適。



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Making A Rice Cooker Rack — Part 5

ヒシカ工業、別所二郎作千年桜シリーズの工芸細工鋸(120ミリ改良刃)を使って、枘の余分をカットしました。

隙間に自作のウッドパテを埋めて、再び、鋸とサンドペーパーで表面を整えてから建築用亜麻仁油を全体的に塗布。

今回は部材の加工精度が高いためか、自然と直角になりました。

比較的軽い素材である米杉と日本の杉を使ったので、片手で持てるほど軽い。



炊飯器等木製ラックの製作難易度:5段階で3

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Making A Rice Cooker Rack — Part 4

仮組み状態だったラックの棚をばらしてから、脚部の切り欠きに木工接着剤を塗布し、棚ニ枚を端金で固定中。端金はいくつあっても多すぎることはない。

天板に枘穴を4ヶ所に貫通させて、タガヤサンの端材を加工した楔を打ち込みました。

枘の向きが意図せず木目と直角になりました。しかし、この方が軟らかい杉板に割れを発生しにくいことがわかりました。この部分のみ、隙間が大きくなり、楔はニ本、必要となりました。

楔を打ち込み過ぎたようで、脚部の角材に割れが発生しました。割れは仕上げる前に埋めれば何とかなるでしょう。

楔はこのぐらいがちょうど。

本日の作業はここまで。

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Making A Rice Cooker Rack — Part 3

放置していた、炊飯器などの調理器具を収納する木製ラック製作作業をおよそ5ヶ月ぶりに再開します。これだけ期間が経つと、加工済みの部材が行方不明になっていないか、少々心配しましたが、すべて残っていました。これまでに加工した部材は、米杉の4本の脚と8本の桟、それと杉一枚板の棚板2枚と天板。

5ヶ月前は脚部と枘組みした桟の上に棚板となる一枚板の杉板を載せる方法を考えていましたが、見た目がよりシンプルな方法を思いつきました。脚となる米杉角材の内側ニ面におよそ6.5ミリの切り欠きを入れて、そこに四隅を切り落とした棚板を嵌める方法です。この方法を採用したので、米杉の桟は不要になります。

強度は若干、劣りますがこの組み方なら見た目がすっきりしている。棚板が一枚板だからこそできる方法です。

棚板を切り欠きに嵌めて仮組みしました。

中段の棚板はこのぐらいの高さで。

天板の固定は通し枘を考えています。

耳を残した面を前面に。

中段には背の高いジューサーを収納する予定です。天板の上に炊飯器。

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