YONEZAWA DIAPET D-125 PRINCE SKYLINE 1/40 Scale

YONEZAWA DIAPET D-125 PRINCE SKYLINE 1/40 Scale

メルカリ出品20点目(ダイキャストミニカーとしては5台目)は、業務を停止した大盛屋酒井通玩具のチェリカフェニックスシリーズPHE-31の金型を改変することなく、業務を引き継いだ米澤玩具が1964年?に同じ金型を使って製造したアンチモニー製のダイキャストミニカー。

YONEZAWA DIAPET D-125 PRINCE SKYLINE 1/40 Scale

実車は1963年9月発売の2代目S50D-1型だと思われます。テールランプが角形のミニカーモデルもありますが、こちらは丸形のマイナーチェンジ前のモデル。

YONEZAWA DIAPET D-125 PRINCE SKYLINE 1/40 Scale

搭載エンジンはG1型直列4気筒OHV 1484ccエンジン。乗車定員5名、70馬力のセダン。

YouTubeに投稿されたプリンススカイライン・デラックス1500のCM。リアルタイムでこのようなCMを観たかもしれませんが、マグマ大使は覚えていても車に興味がなかったのか、私の記憶にありません。CMに登場する車のテールランプは角形なので、マイナーチェンジ後のモデルだと思われます。

YONEZAWA DIAPET D-125 PRINCE SKYLINE 1/40 Scale

私はやはり、丸形テールランプが好みです。写真撮影時に洗車したら光沢が蘇りました。素材がアンチモニー合金の場合は、塗装面に独特な光沢が生まれるそうです。

ポスト投稿に当たり、以下のサイトを参考にさせていただきました。
ポルシェ356Aカレラ
サンクスの趣味日記
ノスタルジックヒーローズ
おぢろぐ〜ミニカー&模型ブログ〜
Wikipedia

ASAHI MODEL PET No. 27 TOYOPET CORONA DELUXE 1/42 Scale

ASAHI MODEL PET No. 27 TOYOPET CORONA DELUXE 1/42 Scale

メルカリ出品19点目(ダイキャストミニカーとしては4台目)は、アサヒ玩具モデルペットNo. 27のトヨペット・コロナデラックス。兄が所有していたヨネザワダイヤペットのダイキャストミニカー、ダットサンブルーバードの競合車種になります。当時はBluebirdとCoronaの熾烈な販売競争をBC戦争とも言われたそうですが、それがそのまま我々兄弟喧嘩の武器として使われたということです。Coronaを所有していた私が常に圧勝していたのか、私の武器は兄が所有したBluebirdほど塗装剥げはありません。

ASAHI MODEL PET No. 27 TOYOPET CORONA DELUXE 1/42 Scale

旭玩具製作所による「モデルペット」のブランドは、ダイヤペットよりも早い1959年に生まれたそうで、国産としては初のダイキャストミニカーのブランドだそうです。実車は1964年3代目コロナ初期型だそうです。車体前方から後方に流れる直線基調のデザインはアローライン。

ASAHI MODEL PET No. 27 TOYOPET CORONA DELUXE 1/42 Scale

4灯式のヘッドライトが特徴的な3代目コロナ。

ASAHI MODEL PET No. 27 TOYOPET CORONA DELUXE 1/42 Scale

搭載エンジンは2R型水冷4気筒OHV1490cc、70馬力で最高速は140km。宿敵の410型ブルーバードと同様、3速MT。

ASAHI MODEL PET No. 27 TOYOPET CORONA DELUXE 1/42 Scale

アサヒ玩具が1965年に発売したダイキャストミニカーは当時の全国定価が380円。(東京都内は350円)ダイキャストの素材はアンチモニー合金。

ASAHI MODEL PET No. 27 TOYOPET CORONA DELUXE 1/42 Scale

ミニカー製造後、54年の年月が経過したことになります。現存するミニカーの希少性と保存状態を考慮して、メルカリでの販売価格を考えます。

ポスト投稿に当たり、以下のサイトを参考にさせていただきました。
ポルシェ356Aカレラ

YONEZAWA DIAPET No. D-126 DATSUN BLUEBIRD 1/40 Scale

YONEZAWA DIAPET No. D-126 DATSUN BLUEBIRD 1/40 Scale

メルカリ出品18点目(ダイキャストミニカーとしては3台目)は、YONEZAWA DIAPET No. D-126のダットサンブルーバード。実車は1963年発売の2代目410型ブルーバードだそうで、このモデルかどうかは定かではありませんが、ダットサンブルーバードは父親の愛車遍歴にも登場します。YONEZAWA DIAPETのダイキャストミニカーは1965年発売だそうで、外車のミニカーよりも先に手元にあったように覚えています。

YONEZAWA DIAPET No. D-126 DATSUN BLUEBIRD 1/40 Scale

このオンボロミニカーは、恐らく母が最初に兄に買い与えたものだと記憶しています。同時に私はMODEL PET No. 27のトヨペット、コロナデラックスを買ってもらい、二台のミニカーをぶつけ合いながら遊んでいたような微かな記憶があります。トヨペットコロナとダットサンブルーバードは当時、競合車種であり、熾烈な販売競争が繰り広げられていました。そんなことは何も知らないモノマニアック家のガキ共は、ミニカーを武器に兄弟喧嘩しておりました。重量感のあるダイキャストモデルは武器としてはかなりの威力を発揮しました。

YONEZAWA DIAPET No. D-126 DATSUN BLUEBIRD 1/40 Scale

昭和30年代〜40年代に男の子がいた家庭なら、どこの家にもダイキャストミニカーがあるものだと、私は勘違いしておりました。Lotus-Climax Formula 1出品時にも書きましたが、モノマニアック家では、母親が昭和20年代に大津にあったブリキのミニカー製造工場で勤めていたという特別な状況があったようです。小菅ジープ製造会社を退社した後にモノマニアック家に嫁いだ母親が昔を懐かしんでミニカーを買い続けた、これがダイキャスト製ミニカーが半世紀以上の歳月を経ても何台も私の手元に転がっている根拠ではないかと考えます。

YONEZAWA DIAPET No. D-126 DATSUN BLUEBIRD 1/40 Scale

メルカリに出品する前にこのオンボロミニカーについて調査しました。上述しましたように、DIAPET D-126がモデルとした実車は、2代目の410型系(1963年〜1967年)だそうで、ボディーのスタイリングはイタリア、ミラノに本拠地があるピニンファリーナが担当したそうです。ピニンファリーナは、フェラーリの設計もする企業です。

YONEZAWA DIAPET No. D-126 DATSUN BLUEBIRD 1/40 Scale

エンジンは水冷直列4気筒OHVのC型1.0L、45馬力とE型1.2L、55馬力が用意されたそうです。ミッションは3速MT、1.2L車はオートクラッチの設定もあったとか。

YONEZAWA DIAPET No. D-126 DATSUN BLUEBIRD 1/40 Scale

こんなオンボロミニカーもコレクターの間では数万円の価値があるそうです。状態が良い箱付きなら10万を軽く超える高値で取り引きされている。相場を調べる前は、3千円ぐらいから始めて、徐々に下げて行こうと考えていました。そんな価格設定なら値下げする前に転売屋さんの餌食になっていたかもしれません。相場を考えると、希少車であることは間違いなく、コレクターの間でも絶大な人気があるようです。

POLITOYS EXPORT No. 580 BRE Hino SAMURAI

POLITOYS EXPORT No. 580 BRE Hino SAMURAI

メルカリ出品17点目はイタリア製POLITOYSダイキャストミニカーのBRE Hino SAMURAI No. 580。名称が示唆するように、この車は市販車ではなく、富士スピードウェイで開催された1967年の日本グランプリに出場した、日野製ミッドシップエンジン搭載、Pete Brockがデザインしたレーシングカーを表現したものです。BREはBrock Racing Enterprisesの略で、Pete Brockが1965年に設立した設計会社兼レーシングチームの名称。Pete Brockは日本車では日野以外にダットサンやトヨタのGTマシンを設計しています。

POLITOYS EXPORT No. 580 BRE Hino SAMURAI

富士スピードウェイの旧トラックにあった危険極まりない30ºバンクに対応させるために取り付けたオイルサンプが原因で、日本グランプリでは最低地上高が規定の高さより2センチ低くなり、結果として車検に通らず、失格になったという哀しい逸話があります。最低地上高が低すぎるという理由で失格処分にするというのは、30ºバンクを知らないヨーロッパの人には理解されないかもしれません。日本グランプリに出場したTeam Samuraiの監督は昭和を代表する俳優、三船敏郎だったそうです。

POLITOYS EXPORT No. 580 BRE Hino SAMURAI

日章旗とチェッカーフラッグのデカールが付属していたはずですが、捨ててしまったのでしょうか、赤いリアウィングのみが白いボディーに際立っています。調べると、このリアウィングは1960年代当時としては画期的なもので、このような形状のウィングを装着したレーシングカーは他になかったそうです。

POLITOYS EXPORT No. 580 BRE Hino SAMURAI

POLITOYS製SAMURAIの製造開始年は1969年だそうで、ホイールの形状が汎用品の星型となり、フォグランプを簡素化した後期モデルもあるそうですが、この車は実車のマグネシウムホイールを忠実に表現した専用ホイール装着の初期モデルのようです。購入した年代を考えると、やはり1969年製の初期モデルで間違いないかと思います。

2,000台を超えるダイキャスト製ミニカーを収集しておられる方のブログ(WILDMAN’S BLOG)でベスト10を連載されておられますが、その中で10位にランクインしたのがこの日野サムライです。「2センチの悲劇、世界一美しいレーシングカーは日野サムライ」でも述べられているように、レーシングカーとしては第一位だそうです。この記事を読んで、メルカリでの価格設定を見直しました。

Corgi Toys Lotus-Climax Formula 1

Corgi Toys Lotus-Climax Formula 1

メルカリ出品16点目(ダイキャストミニカーとしては1台目)は1960年代に英国のCorgi Toysが製造したダイキャストフォーミュラカー、Lotus-Climax Formula 1。玩具メーカーのCorgi Toys(コーギー・トイズ)について解説したWikipediaによると、”It was followed in December 1964 by the Lotus-Climax F1 car (155). Finished in an authentic British Racing Green and carrying racing number 1, it represented Jim Clark‘s 1963 world championship winning Lotus 25,”とのことで、製造開始1964年、ジム・クラークが優勝した1963年のワールドチャンピオンシップのマシン、Lotus 25を表現したミニカーということになります。

画像はWikipediaから拝借

スケールは1/43と思われますが、カーナンバー以外は実車を忠実に再現しています。

Corgi Toys Lotus-Climax Formula 1

CORGI TOYSのミニカーを含め、ダイキャストミニカーは20台ほど手元にあり、随時、メルカリに出品する予定です。

Corgi Toys Lotus-Climax Formula 1

1960年代に製造された古いミニカーは、十数年前に母が持って来ました。大事に残していたことに驚きました。幼少時に遊んだおもちゃの中には、現在では高値で取り引きされるブリキのロボットもいくつかありましたが、何でも捨ててしまう父がロボットは廃棄したようです。五藤光学の高価な望遠鏡や赤道儀も捨てる人でしたから、ミニカーが残っていたのは意外でした。

Corgi Toys Lotus-Climax Formula 1

恐らく、ミニカーを通信販売で定期的に買ってくれていた母が、廃棄被害に遭わないよう、箱の中に入れて守っていたのでしょう。なぜそれほどまでにミニカーを大事にしていたのか、先日、探りを入れながら尋ねてみました。

Corgi Toys Lotus-Climax Formula 1

我々が生まれる前、母は戦後初めてブリキの玩具を製造した小菅の工場で事務員として勤めていたそうです。これを聞き出すまでは、おもちゃ屋さんの店員だと思っていました。「大津市+ブリキのジープ」の検索ワードで調べると、「小菅のジープ」がヒットしました。そのおもちゃ屋さんはどこの?と尋ねると、「小菅」とのことで、創業者の小菅松蔵さんのこともよく知っていて、当時は東京から疎開し、大津に工場を移転して、進駐軍の兵隊が乗っていたジープをおもちゃにしたそうです。大津には二つ工場があったとか。

Corgi Toys Lotus-Climax Formula 1

戦後、空き缶を再利用してブリキのおもちゃを製造していたということは以前から聞いて知っていましたが、母が小菅の工場で事務員として働いていたとは… 東京に戻る際に、創業者の小菅松蔵さんに東京で働かないかと誘われたそうですが、妹たちを養わなければならなかった祖母に反対されて、仕方なく大津にとどまったとも言ってました。東京に行っていれば、私も兄も生まれてなかったということになります。我々に母が買い与えたおもちゃを父が捨てようとした理由、わからなくもないです。

7月5日追記:メルカリで売れましたので、リンクを削除しました。

Dumbo

Tim Burton監督のWalt Disney Studiosの新作映画、”Dumbo”(字幕版)をイオンモールKYOTO Sakura館で視聴。

この映画館は音響設備が特に優れているのでお気に入りの映画館となりました。

珍しく平日に京都市内にやって来たので、空飛ぶ子象を観た後は堀川通から下鴨本通へと向かい、閉店セール中の「家具の浜野」を再訪問。

この前、お店でお会いした、アンティーク家具の買い付けと修復を担当されている職人さんは、英国で修復技術を習得されたそうです。

閉店セール開始後5日が経過すると、ダイニングテーブルとダイニングチェアなど、大きなアンティーク家具もその大半が成約済みになっていました。案内葉書を受け取っていない人を対象とした閉店セールは4月8日から始まるそうですが、その頃にはほとんどの家具が売り尽くされた状態になるのではないかと思うほど。

Antique Chairs

使っていなかったアンティークなダイニングチェアを友人に譲ることになりました。

1920〜1930年代に英国で製造された椅子だと思われます。ガレージの屋根裏に吊るしていた椅子4脚を下ろして、汚れを落としました。

Before

塗膜がすり減っていた部分(右下の方)はアサヒペンのジェルカラーニスでタッチアップしました。

After

カラーニスでタッチアップ後にオレンジグローを塗布しました。

Greco EG-800R (Red Sunburst)

Greco EG-800R (Red Sunburst)

GrecoのGibsonレスポール型エレキギターの素性が判明しました。(より詳しい情報を入手次第、当ポストに加筆します。)

本体外部にはどこにもシリアル番号の刻印がないので、1970年代半ば以前のモデルであることは確かです。ピックアップを固定するビス4本を緩めて、ピックアップ本体の裏側を見ると、パーツの製造年月日がわかりました。”16119″の5桁の数字が意味するのは、ピックアップの製造日が1976年1月19日。フロント側、リア側共にピックアップに刻印された数字は同じ。製造日の特定にはこちらの方のサイトを参考にさせていただきました。

このカバーがないハムバッキングピックアップは、Maxon(日伸音波)製のU-2000であると思われます。『1976楽器の本』に掲載されたGrecoの広告によると、U-2000は「ハムバッキングピックアップ特有の粘りあるサウンド、高音部の泣きが特徴。ゴールドプレイト、シルバープレイトの他に写真の様なカバーを取ったモデルもあります。¥12,000」とあります。

PUのようなパーツを取り外してみると、このギターの構造を垣間見ることができます。ボディーはトップがメープル、バックがマホガニーの分厚い無垢材を削って加工しているようです。ソリッドボディーとも呼ばれる構造で、重量感があります。

私が所有するモデルもカバーを取ったピックアップです。

腰が当たる部分を削り落としたバックコンターは成毛滋の提案だそうです。本家Gibson Les Paulにはこのような加工は施されていません。

メイプルのネック部分は着脱不可のセットネック。ボルトオンによる製法と比べて見た目がすっきりしていてより頑丈になります。

指板にはエボニー(黒檀)、ポジションマークインレイとロゴマークには白蝶貝が使われています。

ピックアップ裏の刻印からパーツの製造年月日が判明しましたが、ギター本体のモデル名はすっかり忘れていました。小屋に保管しておいたケースを確認して、モデル名がEG-800Rであることがわかりました。1976年の春に大阪梅田の某楽器屋さんで入手したことは覚えていても、モデル名はすっかり忘れていて、こんなに高級なギターであるとは…

Grecoの製品は品番が定価を示していました。EG-800なら8万円、EG-650なら6万5千円。およそ43年が経過した今なら十数万円の価値になりますが、海外では状態が良いモデルがUS$1,000以上で取り引きされているようです。

Happy New Year 2019!

昨年秋に引っ越して来たギタリストのお向かいさんを元日の夕食に招きました。40年以上前に入手したGrecoのエレキギターを自慢げにお見せしたら、チューニングしましょうということになりました。

新しい弦を張っていただき、VOXのアンプも持参してくださいました。ピックアップの片方が接触不良で音が出ていなかったので、CRC 5-56で接点復活させれば両方のピックアップが機能するようになりました。

およそ40年ぶりに懐かしい音を聴かせていただきました。といっても私の当時の技量ではこんなに素晴らしい音は出せなかったので、このジャパンヴィンテージギターが奏でる音色を聴かせてもらったのは初めてになります。

動画はGoogle PhotosにアップロードしたものをGoogle Driveを経由してURLを埋め込みました。

Japanese Hand Plane Made By Goro

Japanese Hand Plane

義父から譲り受けた年代物の和鉋を紹介します。恐らく少なくとも50年以上前に製作された和鉋です。

Japanese Hand Plane

鉋身の表に「剣」、裏に「五郎謹製」の刻印入り。調べてみると新潟県の田中鉋製作所先代、田中五郎次の作品のようです。息子の昭吾作の鉋に関してはある程度の情報が得られましたが、先代が製作した鉋に関してはほとんど情報がありません。極めて貴重なものであることは確かだと思います。

IMG_2200

刃の長さがおよそ70mmなので「寸八」と呼ばれるサイズです。私の手には大き過ぎますが、90mmの角材を削るにはこのぐらいあった方が効率的です。

IMG_2204

我流でおよそ30ºの角度で刃を研いでみたものの切れ味はこんなもん?

IMG_2205

樫の木でできた鉋台の頭の部分に割れがあったので、木工ボンドで接着しました。

IMG_2329

試しに廃材を削ってみましたが切れ味は今一つ。どちらかと言えば、替え刃式の鉋の方が良く切れる。刃の研ぎ方が間違っているかもしれないと思い、ネットで検索すると富山大学の研究資料用ビデオがヒットしました。

鉋刃を研ぐという行為の奥の深さが感じられる素晴らしい動画だと思います。

IMG_2339

この動画に触発され、私も三種類の砥石を使って五郎謹製鉋刃を研ぎ直しました。

IMG_2334

切れ味がかなり改善されましたが、私としてはこの切れ味で完全に満足できていないので、鉋刃をさらに研いでみます。鉋刃を研ぐという行為に嵌りそうな予感がします。

Carl Zeiss Jena Silvarem 6×30 Binoculars — Part 1

Carl Zeiss Jena Silvarem 6x30 Binoculars

ヘールボップ彗星を観察する目的で、1997年にアンティーク・フリーマーケットで購入したCarl Zeiss Jena Silvarem 6×30。幾らで入手したのか定かな記憶はありませんが、$150〜$300ぐらいだったように思います。オリジナルと思われる革製ストラップとケースも付属しました。

Carl Zeiss Jena Silvarem 6x30 Binoculars

europa.comのサイトで製造番号(2350531)を調べると、1946年製であることが判明しました。今年で満70歳になります。購入した当時で製造後すでに51年が経過していましたが、曇りやカビはなく、極めて状態は良かったと記憶しています。(その後、レンズにカビが若干発生したので分解掃除しました。)

Carl Zeiss Jena Silvarem 6x30 Binoculars

Silvaremの製造期間は1910年〜1975年なので、先日、紹介しましたCarl Zeiss Jena Dekarem 10×50よりも古いモデルになります。

Carl Zeiss Jena Silvarem 6x30 Binoculars

実視野8.5º、見掛視界51ºと視野は標準的ですが、レンズの性能に優れているのか、シャープで明るく、天体観察にも使用できます。目的としたヘールボップ彗星は非常に明るい肉眼彗星となったので、この双眼鏡は不要でした。

Carl Zeiss Jena Silvarem 6x30 Binoculars

重量は実測でおよそ420gと軽く、クラシックなポロプリズム式なので持ちやすく、手持ちでも疲れません。

Carl Zeiss Jena Silvarem 6×30 Binoculars — Part 2へと続く。

Nikon “Look” 8×24 Binoculars — Part 1

Nikon "Look" 8x24 Binoculars

Nikonルック双眼鏡には6×18、7×21、8×24の3種類があり、それぞれ1964年、1965年、1967年に発売されたそうです。画像の双眼鏡は8×24なので、1967年発売モデルとなります。私が小学生の頃から実家にありました。6×18か7×21のいずれかも父が所有していたような記憶があります。その最初に所有していた双眼鏡が盗難被害に遭い、8×24は買い直したものという微かな記憶です。

Nikon "Look" 8x24 Binoculars

対物レンズが接眼レンズの内側に位置するリバースポロプリズム式なのでコンパクトな設計が可能。対物レンズ前面にある保護ガラスの形状がサングラスのようで、この双眼鏡の特徴となっています。

Nikon "Look" 8x24 Binoculars

アイレリーフ(接眼部から目までの距離)が短いので眼鏡は取り外した方が見易い。右側のアイピースに視度調節リングがあり、中央のピント調節リングと同じ模様になっています。

Nikon "Look" 8x24 Binoculars

50年近くも前の双眼鏡としては状態が良いと思います。曇りやカビはなさそうだし、今でも解像度が高く、シャープに見えます。ソフトケースにストラップを通す穴があり、双眼鏡本体が常時、このソフトケースに収納されていたこと。これが状態が良い理由だと思われます。対物レンズ前面の保護ガラスが防水機能を生んでいると言う人の発言が海外の双眼鏡サイトにあります。

Part 2へと続く。

Carl Zeiss Jena Dekarem 10×50 — Part 1

Carl Zeiss Jena Dakarem 10x50

恐ろしく年季が入ったポロプリズム式の双眼鏡。義父の元職場からこっそりと持ち帰ったそうです。CARL ZEISS JENAの刻印があるのは以前から知っていました。数十年前から義父が使っていたとのことです。

Carl Zeiss Jena Dakarem 10x50

調べてみるとこのドイツ製双眼鏡は伝説的なポロプリズム式双眼鏡であることがわかりました。allbinos.comの記事によると、Carl Zeiss Jena Dekarem 10×50が製造されていたのは1931年から1990年の期間であり、この60年間に小規模な改良が絶え間なく施されたそうです。製造初期は1350グラムと重量級であったのが、1936年に合金と内部構造を変更した結果、よりスリムで軽量になり、重量は890グラムになった。戦後に再び重量が増して1020グラムになったとのことです。当時のカタログに記載の重量に関する情報を元におよその製造年がわかるかもしれないと思い、計量してみると、およそ900グラムでした。埃が10グラムほど付着しているとすると、1936年から1945年の間に製造されたものと推定できます。

Carl Zeiss Jena Dekarem 10x50

双眼鏡には7桁の製造番号が刻印されているので、europa.comのサイトでさらに詳しく調べてみると、製造年は1936年であることがわかりました。義父とほぼ同世代になります。

Carl Zeiss Jena Dakarem 10x50

対物レンズ、接眼部共に、埃まみれではあるものの、大きな傷はなさそうです。この双眼鏡の最大の特徴は広い視界にあります。エルフレ構造を採用したおかげで、実視野が7.3º、見掛視界が実に73ºもあります。

Carl Zeiss Jena Dakarem 10x50

どこまで綺麗になるのかわからないし、分解すると光軸がずれる恐れもありますが、何れにしてもこの状態では快適に使用できないので、外観だけでも綺麗になるようにクリーニングしてみます。分解と組み立てが可能であれば、オーバーホールしてみようと考えています。

Tailor Scissors Made in Solingen, Germany

Tailor Scissors Made in Solingen, Germany

レンタルサーバー移転後初のポスト投稿になります。移転先(正しくは出戻り先)サーバーで、当ブログ用WordPressのデータベースが見えないという解決すべき問題が一つありますが、動的なデータを管理するMySQL (RDBMS) システムが見えていなくても、正常にサイトは動いているようなので、しばらくこのまま放置しておこうと考えています。(7月7日追記:放置状態は二日で終わりました。現在はデータベースが見えています。)

Tailor Scissors Made in Solingen, Germany

画像の裁ちバサミは義父から譲り受けたもので、指を入れる柄の部分を含めると全長が32cmもあり、意図された用途以外では使いづらいこともあり、引き出しに仕舞ったままになっていました。眼鏡を外してよく見ると、SOLINGENとMADE IN GERMANYの刻印があります。

Tailor Scissors Made in Solingen, Germany

ドイツ製の刃物らしく、切れ味は良好。柄の部分のみ塗装してあるようで、パーツは二枚の刃とボルトのみ。伝統的な工法で製作してあるようです。

Tailor Scissors Made in Solingen, Germany

メーカー名と製造年は不明ですが、恐らく少なくとも製造は50年以上前で、20世紀前半ではないかと思います。

Antique Occasional Table

数年ぶりにアンティーク家具のお店を訪問しました。今回、やって来たお店(Parthenon)は倉庫型店舗。卸売り専門の目立つ看板があったこともあり、これまで一度も足を踏み入れることがなかったのですが、店に入ると、我々のような一般客にも愛想の良い店員さんが応対してくれました。

現在、ガレージ勝手口に取り付けたドアの雨水に当たる部分が腐朽しており、自分で修復するか、輸入建材を買って来て自分で取り付け直すか検討中です。このお店はアンティークの輸入建材も取り扱われているので、店内を調べてみましたが、ガレージに似合いそうなドアはなく、安いものでも10万円程度はします。アンティーク建材の場合、ドアノブと鍵の取り付けが難しそうで、やはり、自分で修復した方が良いだろうということになりました。

あまりに店員さんの応対が親切だったので、記念に小さなアンティーク家具を一つ、購入することにしました。1930年代製造のイギリス製ネストテーブルの最も外側のテーブルをオケージョナルテーブルとして散売りしてあったものです。

脚部と幕板はオーク無垢材ですが、天板はオークの突き板が使用されており、その一部の接着が弱っていて浮いていますが、これは自分で修復できそう。梱包する前にワックスを念入りに塗布していただきました。このお店ではアンティーク家具の修復もされているようで、技術的な面でも信頼できそうです。