使っていなかったアンティークなダイニングチェアを友人に譲ることになりました。
1920〜1930年代に英国で製造された椅子だと思われます。ガレージの屋根裏に吊るしていた椅子4脚を下ろして、汚れを落としました。
塗膜がすり減っていた部分(右下の方)はアサヒペンのジェルカラーニスでタッチアップしました。
カラーニスでタッチアップ後にオレンジグローを塗布しました。
Apple, Photography, Stargazing, DIY, "Garage Life", F1, Fly Fishing
GrecoのGibsonレスポール型エレキギターの素性が判明しました。(より詳しい情報を入手次第、当ポストに加筆します。)
本体外部にはどこにもシリアル番号の刻印がないので、1970年代半ば以前のモデルであることは確かです。ピックアップを固定するビス4本を緩めて、ピックアップ本体の裏側を見ると、パーツの製造年月日がわかりました。”16119″の5桁の数字が意味するのは、ピックアップの製造日が1976年1月19日。フロント側、リア側共にピックアップに刻印された数字は同じ。製造日の特定にはこちらの方のサイトを参考にさせていただきました。
このカバーがないハムバッキングピックアップは、Maxon(日伸音波)製のU-2000であると思われます。『1976楽器の本』に掲載されたGrecoの広告によると、U-2000は「ハムバッキングピックアップ特有の粘りあるサウンド、高音部の泣きが特徴。ゴールドプレイト、シルバープレイトの他に写真の様なカバーを取ったモデルもあります。¥12,000」とあります。
PUのようなパーツを取り外してみると、このギターの構造を垣間見ることができます。ボディーはトップがメープル、バックがマホガニーの分厚い無垢材を削って加工しているようです。ソリッドボディーとも呼ばれる構造で、重量感があります。
私が所有するモデルもカバーを取ったピックアップです。
腰が当たる部分を削り落としたバックコンターは成毛滋の提案だそうです。本家Gibson Les Paulにはこのような加工は施されていません。
メイプルのネック部分は着脱不可のセットネック。ボルトオンによる製法と比べて見た目がすっきりしていてより頑丈になります。
指板にはエボニー(黒檀)、ポジションマークインレイとロゴマークには白蝶貝が使われています。
ピックアップ裏の刻印からパーツの製造年月日が判明しましたが、ギター本体のモデル名はすっかり忘れていました。小屋に保管しておいたケースを確認して、モデル名がEG-800Rであることがわかりました。1976年の春に大阪梅田の某楽器屋さんで入手したことは覚えていても、モデル名はすっかり忘れていて、こんなに高級なギターであるとは…
Grecoの製品は品番が定価を示していました。EG-800なら8万円、EG-650なら6万5千円。およそ43年が経過した今なら十数万円の価値になりますが、海外では状態が良いモデルがUS$1,000以上で取り引きされているようです。
昨年秋に引っ越して来たギタリストのお向かいさんを元日の夕食に招きました。40年以上前に入手したGrecoのエレキギターを自慢げにお見せしたら、チューニングしましょうということになりました。
新しい弦を張っていただき、VOXのアンプも持参してくださいました。ピックアップの片方が接触不良で音が出ていなかったので、CRC 5-56で接点復活させれば両方のピックアップが機能するようになりました。
およそ40年ぶりに懐かしい音を聴かせていただきました。といっても私の当時の技量ではこんなに素晴らしい音は出せなかったので、このジャパンヴィンテージギターが奏でる音色を聴かせてもらったのは初めてになります。
動画はGoogle PhotosにアップロードしたものをGoogle Driveを経由してURLを埋め込みました。
義父から譲り受けた年代物の和鉋を紹介します。恐らく少なくとも50年以上前に製作された和鉋です。
鉋身の表に「剣」、裏に「五郎謹製」の刻印入り。調べてみると新潟県の田中鉋製作所先代、田中五郎次の作品のようです。息子の昭吾作の鉋に関してはある程度の情報が得られましたが、先代が製作した鉋に関してはほとんど情報がありません。極めて貴重なものであることは確かだと思います。
刃の長さがおよそ70mmなので「寸八」と呼ばれるサイズです。私の手には大き過ぎますが、90mmの角材を削るにはこのぐらいあった方が効率的です。
我流でおよそ30ºの角度で刃を研いでみたものの切れ味はこんなもん?
樫の木でできた鉋台の頭の部分に割れがあったので、木工ボンドで接着しました。
試しに廃材を削ってみましたが切れ味は今一つ。どちらかと言えば、替え刃式の鉋の方が良く切れる。刃の研ぎ方が間違っているかもしれないと思い、ネットで検索すると富山大学の研究資料用ビデオがヒットしました。
鉋刃を研ぐという行為の奥の深さが感じられる素晴らしい動画だと思います。
この動画に触発され、私も三種類の砥石を使って五郎謹製鉋刃を研ぎ直しました。
切れ味がかなり改善されましたが、私としてはこの切れ味で完全に満足できていないので、鉋刃をさらに研いでみます。鉋刃を研ぐという行為に嵌りそうな予感がします。
ヘールボップ彗星を観察する目的で、1997年にアンティーク・フリーマーケットで購入したCarl Zeiss Jena Silvarem 6×30。幾らで入手したのか定かな記憶はありませんが、$150〜$300ぐらいだったように思います。オリジナルと思われる革製ストラップとケースも付属しました。
europa.comのサイトで製造番号(2350531)を調べると、1946年製であることが判明しました。今年で満70歳になります。購入した当時で製造後すでに51年が経過していましたが、曇りやカビはなく、極めて状態は良かったと記憶しています。(その後、レンズにカビが若干発生したので分解掃除しました。)
Silvaremの製造期間は1910年〜1975年なので、先日、紹介しましたCarl Zeiss Jena Dekarem 10×50よりも古いモデルになります。
実視野8.5º、見掛視界51ºと視野は標準的ですが、レンズの性能に優れているのか、シャープで明るく、天体観察にも使用できます。目的としたヘールボップ彗星は非常に明るい肉眼彗星となったので、この双眼鏡は不要でした。
重量は実測でおよそ420gと軽く、クラシックなポロプリズム式なので持ちやすく、手持ちでも疲れません。
Nikonルック双眼鏡には6×18、7×21、8×24の3種類があり、それぞれ1964年、1965年、1967年に発売されたそうです。画像の双眼鏡は8×24なので、1967年発売モデルとなります。私が小学生の頃から実家にありました。6×18か7×21のいずれかも父が所有していたような記憶があります。その最初に所有していた双眼鏡が盗難被害に遭い、8×24は買い直したものという微かな記憶です。
対物レンズが接眼レンズの内側に位置するリバースポロプリズム式なのでコンパクトな設計が可能。対物レンズ前面にある保護ガラスの形状がサングラスのようで、この双眼鏡の特徴となっています。
アイレリーフ(接眼部から目までの距離)が短いので眼鏡は取り外した方が見易い。右側のアイピースに視度調節リングがあり、中央のピント調節リングと同じ模様になっています。
50年近くも前の双眼鏡としては状態が良いと思います。曇りやカビはなさそうだし、今でも解像度が高く、シャープに見えます。ソフトケースにストラップを通す穴があり、双眼鏡本体が常時、このソフトケースに収納されていたこと。これが状態が良い理由だと思われます。対物レンズ前面の保護ガラスが防水機能を生んでいると言う人の発言が海外の双眼鏡サイトにあります。
Part 2へと続く。
恐ろしく年季が入ったポロプリズム式の双眼鏡。義父の元職場からこっそりと持ち帰ったそうです。CARL ZEISS JENAの刻印があるのは以前から知っていました。数十年前から義父が使っていたとのことです。
調べてみるとこのドイツ製双眼鏡は伝説的なポロプリズム式双眼鏡であることがわかりました。allbinos.comの記事によると、Carl Zeiss Jena Dekarem 10×50が製造されていたのは1931年から1990年の期間であり、この60年間に小規模な改良が絶え間なく施されたそうです。製造初期は1350グラムと重量級であったのが、1936年に合金と内部構造を変更した結果、よりスリムで軽量になり、重量は890グラムになった。戦後に再び重量が増して1020グラムになったとのことです。当時のカタログに記載の重量に関する情報を元におよその製造年がわかるかもしれないと思い、計量してみると、およそ900グラムでした。埃が10グラムほど付着しているとすると、1936年から1945年の間に製造されたものと推定できます。
双眼鏡には7桁の製造番号が刻印されているので、europa.comのサイトでさらに詳しく調べてみると、製造年は1936年であることがわかりました。義父とほぼ同世代になります。
対物レンズ、接眼部共に、埃まみれではあるものの、大きな傷はなさそうです。この双眼鏡の最大の特徴は広い視界にあります。エルフレ構造を採用したおかげで、実視野が7.3º、見掛視界が実に73ºもあります。
どこまで綺麗になるのかわからないし、分解すると光軸がずれる恐れもありますが、何れにしてもこの状態では快適に使用できないので、外観だけでも綺麗になるようにクリーニングしてみます。分解と組み立てが可能であれば、オーバーホールしてみようと考えています。
レンタルサーバー移転後初のポスト投稿になります。移転先(正しくは出戻り先)サーバーで、当ブログ用WordPressのデータベースが見えないという解決すべき問題が一つありますが、動的なデータを管理するMySQL (RDBMS) システムが見えていなくても、正常にサイトは動いているようなので、しばらくこのまま放置しておこうと考えています。(7月7日追記:放置状態は二日で終わりました。現在はデータベースが見えています。)
画像の裁ちバサミは義父から譲り受けたもので、指を入れる柄の部分を含めると全長が32cmもあり、意図された用途以外では使いづらいこともあり、引き出しに仕舞ったままになっていました。眼鏡を外してよく見ると、SOLINGENとMADE IN GERMANYの刻印があります。
ドイツ製の刃物らしく、切れ味は良好。柄の部分のみ塗装してあるようで、パーツは二枚の刃とボルトのみ。伝統的な工法で製作してあるようです。
メーカー名と製造年は不明ですが、恐らく少なくとも製造は50年以上前で、20世紀前半ではないかと思います。
数年ぶりにアンティーク家具のお店を訪問しました。今回、やって来たお店(Parthenon)は倉庫型店舗。卸売り専門の目立つ看板があったこともあり、これまで一度も足を踏み入れることがなかったのですが、店に入ると、我々のような一般客にも愛想の良い店員さんが応対してくれました。
現在、ガレージ勝手口に取り付けたドアの雨水に当たる部分が腐朽しており、自分で修復するか、輸入建材を買って来て自分で取り付け直すか検討中です。このお店はアンティークの輸入建材も取り扱われているので、店内を調べてみましたが、ガレージに似合いそうなドアはなく、安いものでも10万円程度はします。アンティーク建材の場合、ドアノブと鍵の取り付けが難しそうで、やはり、自分で修復した方が良いだろうということになりました。
あまりに店員さんの応対が親切だったので、記念に小さなアンティーク家具を一つ、購入することにしました。1930年代製造のイギリス製ネストテーブルの最も外側のテーブルをオケージョナルテーブルとして散売りしてあったものです。
脚部と幕板はオーク無垢材ですが、天板はオークの突き板が使用されており、その一部の接着が弱っていて浮いていますが、これは自分で修復できそう。梱包する前にワックスを念入りに塗布していただきました。このお店ではアンティーク家具の修復もされているようで、技術的な面でも信頼できそうです。
ドイツ、ゾーリンゲンにある1896年創業の老舗ブランド、PFEILRINGのレターオープナーとハサミのセットが義父のところから届けられました。
刃の部分がおよそ12cmもある長いハサミ。製造年は不明ですが、恐らく第二次世界大戦前だと思います。刃を開いてから閉じた時に心地よい金属音が聞こえます。切れ味を音で表しているかの如く、紙片がスパッと真っ直ぐに切れます。
こちらはレターオープナー。保存状態が優れているのか、かなりの美品。
“Antiques and Collectibles”のカテゴリーに入れても良いかと思うほど古いオールドニッコールのマニュアルレンズを入手しました。カメラ店が査定した状態が上から3番目の”AB”と、年代物のわりには極めて状態が良いので思わず、買って来たのですが、実はこのレンズ、Nikon D7000には装着できないことが判明しました。
お店に自分のカメラを持参しなかったので、中古で販売されていたD7000ボディーをお借りして、マニュアルフォーカス撮影時のフォーカスリングの動きを確認しました。遊びがほとんどなく、ピント合わせにも問題ないと判断して購入したのですが、帰宅後に自分のカメラに装着しようとするとどうにもこうにも固くて装着できない。
Nikonのサイトで調べてみると、このレンズは1964年1月発売のもので、非CPU型、非Aiのオールドニッコール。お店では装着できたのに、なぜ自分のカメラには装着できないのかと疑問に思い、ニコンカスタマーサポートセンターに問い合わせてみました。絞りリングに付いているカニ爪の形状を聞かれました。Ai改造済みなのかどうかを尋ねられたのだと思います。結果は、Ai改造済みのものではなく、したがって、D7000には装着できないので、無理に装着しないように言われました。無理矢理装着してシャッターを切ると、最悪の場合、シャッターユニットが破損する恐れがあるそうです。
12月3日追記:11月28日発売の古くて新しいNikon Dfなら、露出計連動レバーが可倒式なのでこのオールドニッコールを装着できるかもしれません。
レンズキャップも旧式のものでなかなか格好良いのですが。使えないのは困るので、心斎橋にある購入したカメラ店に連絡して、事情を説明すると、使用可能な別の中古品と返品交換してくれるとのことでした。
Buckのコンパクトな金属製砥石を入手したとき、私はてっきり、Buckブランドの折りたたみ式のナイフが自宅のどこかに眠っていることと思っていました。どうやらそれは勘違いだったようで、私が持っていたのはBrowningのナイフでした。Buck製だと勘違いしていたくらいですからいつどこで買い求めたものなのか、さっぱり記憶にありません。(多分、入手先はアメリカのどこかのお店だと思います。)
折り畳むとこんな感じでコンパクトなナイフですが、このシンプルで華奢なデザインが気に入っています。
2枚あるブレードの長い方の根元にModel 501 Japanと刻んであり、裏側にはBROWNINGのロゴが刻印してあります。
付属の革製ケースにはMADE IN USAと書いてあります。2718F2はケースのモデル番号なのか、ナイフ本体の品番なのか不明。サイズから考えるとハンティング用ではなく、主にキャンプ用のナイフだと思います。BROWNINGのサイトにはすでにこのモデルは掲載されていないので生産を中止した製品であることは間違いありません。
もう何年もキャンプに出かけていないのでこのナイフを使うこともなかったのですが、久しぶりに今年はペルセウス座流星群の頃(8月12日深夜から8月13日早朝が極大)にMOSSのテントを設営してみようかと考えています。そのテントを現在、捜索中であり、あると思っていた木製の小屋にはなかったので、ガレージのどこかにあるはずなのですが、一向に見つかりません。(フライシートと思われるテントの一部だけが見つかりました。)
実家に寄った時、喉が渇いたので冷たいものが欲しいと言ったら、こんな古いグラスでアイスコーヒーを出してくれました。どのくらい古いものなのか尋ねると、恐らく半世紀ほど前のものということでした。ロゴが黒字と赤字のものがあり、赤字のグラスを一つ、持ち帰りました。
当時、コカコーラは特別な清涼飲料水であったはずです。ボトルも象徴的なデザインでした。非売品として喫茶店などのお店に配られていたこのグラスも特徴的なデザインで、強烈な印象があります。このグラスはコカコーラ以外は受け入れないので、アイスコーヒーはあまり美味しくはなかった。やはり、このグラスに入れて飲むのはコカコーラでないと。
流線形のこの特徴的なデザインの電動鉛筆削り、昔から実家で使っていたものですが、今も現役で罫書きで使用する鉛筆を素早く削る時にガレージで活躍しています。Webで調べると販売されていたのは1960年代だそうです。ということは少なくとも40年以上は経過していることになります。
この鉛筆削り(ペンナーK-5型)を見ると私は1964年の東京オリンピックの開催に合わせて開業した東海道新幹線の流線形を思い出します。この製品は企業カラーのダークブルーを採用していますが、赤いのもあるようです。削り過ぎを警告するランプも点灯します。特徴的なのはフォルムだけではなく、鉛筆を挿して自動的に電源オンになると、低いエンジン音のようなモーターの駆動音が聞こえます。削る準備できているのでいつでも挿してくれと言っているように聞こえるアイドリング音。子どもの頃は、この鉛筆削りが使いたくて、削り過ぎ防止の警告灯を無視して、無駄に鉛筆を短くしていた記憶が蘇りました。
ずっしりと重くて存在感に溢れるナショナル製電動鉛筆削り、まだまだ現役で活躍してくれそうです。
1996年にデトロイト郊外にあるアンティークショップで買い求めたGruenの機械式手巻きの腕時計。製造年は不明ですが、20世紀前半だと思います。
ムーブメントはスイス製。針は少し錆びていますが、今でも使用できます。ケースと裏蓋は10K金張り。
真上から見たイラストなので、風防の膨らみ具合がわからないのが残念。実際はこんな風に膨らんでいて、年季も入っています。実はこのイラスト、1997年の春にMacintosh PowerBook 5300csにインストールしたIllustratorを使って描いています。10.4″のカラー液晶(デュアルスキャン・カラーパッシブ・マトリックス)にメモリは僅か16MB、こんなマシンでよく描いたものだと我ながら感心します。
マウスではなく小さなトラックパッドに触れた指の角度と力の入れ方を調整しながら線を引いています。当時は透明のガラスを描く知識もテクニックもなかったので風防が描けていません。
15年も前のファイルを最新システムで開くことができて感動しました。