お昼前に烏丸御池で地下鉄を降りるとかんかん照りの山鉾巡行真っ最中。大津祭とは違い、お昼の休憩がないようです。隣の町に住んでいながら、祇園祭山鉾巡行に来たのは初めて。
広い御池通を西へと進む山と鉾。
鶏鉾をNikkor望遠レンズ(換算247mm)で一枚。
沿道にはたいへん多くの人が。宵山は若者が集まりますが、本祭りの特に有料観覧席は年齢層がずっと高くなるようです。
新町通に移動して待ち構えることにしました。後頭部も強い日差しから守ることができるバケツハットが今日は役に立ちました。
狭い新町通を南下する函谷鉾。
電線に接触しそうな月鉾大工方。
昼間は通常撮影モードで失敗しようがない、RICOH PXで撮影。ちょっと色が派手?
近くから超広角レンズで撮影するのも面白い。
美しい見送り。
蟷螂山がやって来た時、Nikon D90のモードダイヤルはなぜかManualモードになっていて、それに気付かずにシャッターを切ると、25秒間の露出にノイズ処理25秒間で合計50秒間ほど、シャッターが切れない状態に。(マニュアルモードで星を撮影していたときの設定が残っていました。)上の写真はRICOH PXで撮影。蟷螂が羽を広げています。
人気の船鉾も見れました。
40人ぐらいが鉾に乗っているそうです。
Kyoto Gion Matsuri 2011 from Monomaniac Garage on Vimeo.
最後にRICOH PXで試し撮りした動画。画質は今一つ。初めての試みなので設定がおかしくなっていたのかもしれません。
筆者様
晴天だったのですね!写真の被写体の色が映えて感動しました。宵山の折は丁度、私の住んで居る国でNHK-BSを見ていましたら、宵山の街中が放映されそれぞれの山車が紹介されて行き(有名所がメイン)人々の熱気と祇園祭のルーツやその飾り物のルーツを居ながらにして視聴出来て満足しました。
そして、この綺麗な写真の数々、知識を更に得た後に改めて写真を拝見すると、感動も一入です。8枚目の写真はお稚児さんも綺麗に写っていて感動ものです。
Jim,
私も宵山生中継を観ました。美意識が祇園祭で培われるという話は特に興味深いと思いました。何が美しくて、何が醜いのか、個人が持つその判断基準はどのようにしてできるのだろうと考えてみた時、その一つの答えが祇園祭ということでしょうか。年に一度だけ、特に美意識が芽生える幼少時代に接するお祭りが美的感覚を養うとは意外です。私の場合は祇園祭ではなく、大津祭かもしれません。長い夏休みが終わろうとする頃から、山車のスケッチを競い合うように紙に描いていたのを覚えています。9月になればお囃子の稽古が始まりました。
筆者 様
そうですか、筆者様もご覧になられていたのですね。確かに筆者様が仰る様に「祭り」は子供に自然と「美しい!」と言う美意識を培うと思います。私もその昔(小学校3年生)地元の大社の貼るの春の大礼祭りで、お稚児さんになり(平安の貴族姿)、馬にまたがり粛々とその行列に列した事を今でも鮮明に覚えています。何もかもが煌びやかで綺麗に見え、毎年、春と秋に行われるこの大礼は本当に楽しみでした。この大礼の時期は、子供御輿も出て、勿論毎年参加!でも、今は地元に帰ってもこの様な町内の賑わいもなく寂れてきています。
やはり、町内に子供の声がして、その賑やかさが祭りに花を添える、極々子供の頃の「当たり前」が今はなく、番組でも祇園時期の童歌でさえ、地元の子供達ではなく、他所からの応援。継承して行くのに苦労されているのを感じました。また、逆に、蟷螂鉾でしたか、新たなマンションの住人とそのマンションが建っている地区の町家の方々が協力して伝統を守っていらっしゃる事には感動しました。
祭りで皆の顔が自然と生き生きしている、こんな笑顔を見れば悲しい事も一時的かも知れませんが忘れられる。全てがそうだとは言いませんが、東北各県で被災された方々の中には「自粛しないで」と仰る人が多くおられましたが、その言葉の基本はやはり「祭り」や華やかな行事で心和む事が大切だと仰っている様に思います(勝手な解釈ですが)。
私は、滋賀出身ですが、湖東・湖北辺りですので、残念乍ら生まれてこの方「大津祭」を拝見した事がありません。機会があれば一度見に行ってみたいものです。
Jim,
筆者様
大津市が、一部浸水している様ですが、筆者様のお宅は大丈夫ですか?想像ですが、筆者様の家は自然丘陵に有る様な気がしますので、有ってはなりませんが、地盤の緩みなどにはお気を付け下さい。
Jim,
美意識を持つ、と言うことは重要ですよね。生き様にも通じてきます。最近は美しさが表面的になり、背景や意識には触れられなくなってきている気がします。意識するとは真理への追及にも通じます。京都のお祭りは祇園祭のように一ヶ月、神への畏敬の念を捧げる神事として行われるのが素晴らしいと思います。
祭りが騒ぎたてて民衆のガス抜きのようになってしまってきていますが、そういう発生もあったでしょうが、元来は神事ではないかと。
五山の送り火も実際に見た後、船岡山を降り西大路を歩いていたら、おばあさんが手を合わせていました。走り回って写真を撮って満足していた気持ちがシュンとなりました。そうか神事なんだなと。
余談ついでに、左大文字の送り火は、街中のお寺で点火して50人ほどの一団が曼荼羅山に運びます。偶然出会わしたのですが、ザッザッという足音と大きな松明の火が弾ける音だけを残して過ぎ去る男たちの姿は、荘厳で見惚れました。
確かにお祭りと宗教は切っても切れない仲ですね。特に五山の送り火は象徴的です。人の美意識にもお祭りと密接な関係がある宗教や古来からの伝統が、意識しているかどうかに関わらず、反映されているものと思います。