OMO7高知16階の客室(1607)から見た早朝の景色。思っていたより高知市中心部は都会でした。これから長い一日が始まります。
午前7時過ぎには朝食会場へ。
前日に鰹のたたきをたくさんいただいたので、朝食は鰹以外で。クロワッサンが美味しい。
星野リゾートは無垢の木にこだわりがあるのか、あちこちに無垢材が使われている。

土佐犬は楠を加工したものだそうです。軟らかい楠は彫刻に向いている。
この新型Suzuki HUSTLERのボディーは触るとツルツルとして光沢がある。どんなコーティング剤を塗布しているのだろう?
3日間、レンタカーを運転して気付いたことが一つ。加速というか、トルクは最廉価モデルの自車の方が力強い気がする。ディスプレイオーディオはやっぱり欲しいかな。自力で取り付けるとなると、数日はかかりそう。
義母の実の姉が暮らす窪川へと向かいました。高岡神社の分社に義父の先祖を永代供養しているらしい。高知は仏教よりも神道の方が一般的なのか?
四駆でないと登れないと思うほどの急な坂の上に桧で建てられた分社がありました。
義母の姉宅に戻って、高知の郷土料理である豪華な皿鉢料理をいただきました。調べると、皿鉢料理は神事の際の儀式食が発展したものだそうで、やはり高知は神道が主流なのかと思わされます。画像には写っていない鰹のたたきや巻き寿司、刺身など4人では到底、食べきれない量がありました。姉と話す義母は「おまん」と「〜ちゅー」、「〜ぜよ」連発の土佐弁で、義母が暮らす大阪北摂では聞いたことがない言葉を話していました。
そして、義母の生誕地は樺太だったということを初めて知りました。Wikipediaによると、「日本本土の食糧確保のために農業移民が指向され、とくに1928年から1940年は集団移民制度が実施された」とあります。さらに調べると、「樺太土佐村」が樺太に存在したようです。義母が生まれたのは1939年なので、集団移民制度実施中になります。養父が樺太で馬に乗っていたと話していたことから推察すると、樺太の行政政府職員だったのかもしれません。同行者従兄弟の話によると、義母の父親は樺太で移住に関する仕事をしていたということです。
高知市内に戻る前にお土産を買いに、久礼大正町市場へ。義母の甥の同級生が経営するというここの鰹のたたきは特段に美味しいそうで、義母は大量のお土産を買っていました。クーラーボックスは持参していないので、この市場で買ったものの大半は宅配便で発送依頼したようです。
大正町市場の由来。
この日の夕食は、義母の血縁関係にはない姪(=同行者従兄弟)である、株式会社ラトゥールの代表取締役社長の裕美さんと華珍園別館での会食となりました。初日に出会った際に高知の郷土料理でお腹がいっぱいであることを伝えたら、リストアップされた飲食店の中から老舗の中華料理店である華珍園を選んでくれていたようです。
裕美さんは幼い頃から家族でこの中華料理店を訪れていたそうで、私にとっては1953年創業の浜大津あたか飯店のようなお店かもしれません。
4人で再会を祝って乾杯。私と義母以外(=裕美さんと同行者)は台湾ビール。義母はウーロン茶、私はノンアルコールのライチカクテル。裕美さんと同行者はビールを何杯もおかわりした後、冷酒らしきものも楽しんでいました。高知は酒豪が多いと聞いていましたが、それを実証するかのように、土佐の血が濃厚に入っている同行者と東京在住の姉や甥は、アルコール消費に関しては底なし間違いない。
メニューは裕美さんにお任せしたら、次から次へとどんどん運ばれてきます。
酸辣湯は私の希望。Baskin Robbinsサーティワン5店舗を含む、飲食店フランチャイズ加盟店15店舗を高知市内で経営する裕美さんは食通でもあり、鼎泰豊台湾本店にも行ったことがあるそうです。
雑誌や地方紙に取材記事が何度も掲載されたことがある女性起業家の裕美さんは地元ではちょっとした有名人であり、従業員が150名近くもいるとか。
名古屋味仙の台湾ラーメンや青菜のことも当然のように知っておられました。
華珍園別館は外国人客も多いそうで、この日も何名かの団体客を見ました。
酢豚は義母の希望。
味仙の手羽先とは全然違って辛くなく、注文を受けてから揚げているようです。
浜大津あたか飯店では締めくくりにさつまいもの飴炊きを亡父がいつも注文していましたが、ベトベト感と味付けが似ている。
ラストオーダーまで華珍園で夕食を楽しんだ後、ホテルに戻ろうとしていたら、裕美さんからもう一軒行きましょうとのお誘いを受けて、徒歩数分の距離にある、看板が上がっていないバーにハシゴすることになりました。
ここはデザートのパンが特別に美味しいとのことで、おすすめのクロワッサンをいただきました。
























