Otsu Matsuri 2025 — Procession

大津祭本祭当日は今年で創立137年になる大津で最も古い幼稚園、大津市立大津幼稚園の向かいにある駐車場に車を停めました。私はこの大津幼稚園の卒園生です。先週の山建ての日にも利用したこの駐車場は、日曜祝日の午前7時から午後7時まで12時間利用しても最大駐車料金500円です。

浜通りから中町通りに移動してすぐの旧玉屋町の湯立山は今年の巡行順が13基目で最後の曳山になります。集合場所の天孫神社前がすぐ近くなので、出発まで待機中でした。

京町通りの源氏山町内に移動。

まもなく出発します。

源氏山の山方を担当するのは松井工業株式会社。湯立山同様、ご縁があって我々は源氏山でも関係者並みの扱いをされます。

中町通りの湯立山に戻りました。

巡行順が最後の湯立山が出発します。先頭に立つのが湯立山責任者。

天孫神社前に13基の曳山が集まりました。

浜通りにある松井工業株式会社の本社ビル敷地内で、関連会社の愛和グループホーム入居者とデイケアを利用するお爺ちゃんお婆ちゃんたちが曳山がやって来るのを待機中。

社長にどうぞお入りくださいと言われ、ここでも関係者待遇。

西宮蛭子山(鯛釣山)の責任者も大津市立中央小学校の同級生らしい。幼い頃に一緒に鯛釣山に乗って鉦を叩いていたはずですが、半世紀も経っているので全くわからない。

昼食は近くの豆藤で。大津祭の日は特別に二階が開放されるそうです。祖母の時代から利用している豆藤は調べたら創業が大正11年。お惣菜のお店です。大津らしい味付けで、京都の味付けとほとんど同じ。

鯉山の責任者も同級生らしい。宵宮の昨夜は同級生がLineのグループチャットを運営していて、同窓会を企画していたようで、通知音がうるさいほど。

昼休みの頃に天孫神社の神輿が中央大通りから中町通りへと進みます。

午後は中央大通りに設けられた有料観覧席背後に陣取りました。私の隣にいるご婦人は大津駅近くの末広町出身で、久しぶりに奈良から大津祭を観るためにやってこられたそうです。曳山の囃子の中でも湯立山の囃子が好きだと言われていました。

小雨が止んでから京町通りに戻りました。やはり、石畳は良い。電線が埋設されているのも。石畳の区域をもっと広めれば良いと思いますが、観光客が殺到して困る人もいるかもしれない。

鶴亀山の町内にも同級生。

戻り山は旧駅前通りで撮影。13基目の湯立山が寺町通り解散場所に到着する頃は提灯必須の暗さ。

これまでに何回も大津祭を観ていますが、午前7時過ぎから午後7時前までいたのは、曳山に囃子方として乗っていた頃を除いて、初めてかもしれません。湯立山が町内に戻ったら、すぐ隣の町内が所有する神功皇后山が待ち構えていました。しばらく囃子合戦した後、今度は湯立山が神功皇后山の方に移動して、また囃子合戦。これはしきたりだったのでしょう。知らなかった。

今年、気付いたことがもう一つあります。天孫神社との繋がりが特別な曳山である湯立山の囃子方は、ホッ、ホッ、ホッホーとか言って見物人を盛り上げるような行為はしないということ。解散場所での挨拶もしないという独自の伝統的な方針を堅守しているように思えます。

この頃になるとiPhoneの容量が足りなくなり、動画撮影できなくなりました。

Otsu Matsuri 2025 — Yomiyaに戻る。

Otsu Matsuri 2025 — Yomiya

10月11日土曜の午後1時前に駐車場(タイムズ大津三井寺町)に車を停めました。山建ての日にこの駐車場が安いことを確認済みでした。目的地まで徒歩で少し距離があります。

湯立山を所有する旧玉屋町に到着すると、宵宮曳きがちょうど始まろうとしていました。山建て直後に行われた湯立山の曳き初めに参加したので、今日は源氏山の宵宮曳きに参加しよう。

大津祭が開催される大津中心部は子供の人口が増加しているそうです。毎年のように新しい大型集合住宅が建設されます。

源氏山のからくり人形。

郭巨山は少し離れたところで山建てをしたようです。

狸山のからくり人形。

上平蔵町にあった私の生家にも竈があったのを覚えています。

狸は屋根の上。

曳き初めと同様、百石町通りで湯立山と源氏山が横に並びます。

西に向かう源氏山。

この辺りは微妙な上り坂になっているので、曳き手として参加しました。

私の右におられるのは源氏山の山方棟梁。いずれは松井工業が引き継ぐそうです。

宵宮曳きが終わると、宵宮飾りが始まります。

提灯をぶら下げる際に必要な柱をこれから立てるようです。

祇園祭でもこのような設備が道路に設置されています。

提灯はロープで引き上げるようです。

電球が入っている木箱には「宵山飾り大吊り電球」と書いてある。大津祭では宵山のことを宵宮ということが多いです。宵宮の囃子が「宵山」です。

東側の提灯が立ち上がりました。

西側も。今夜は雨の心配はなさそう。

湯立山の宵宮飾りは終了していました。

猩々山がある浜通りを西に向かい、駐車場の方角へと進みました。

途中で孔明山によって。

さらに最も西にある石橋山に立ち寄ると、囃子が始まっていました。石橋山の模型、昭和2年10月製作と書いてある。なんと98年も前。祖父母の時代になります。私の父方、母方共に祖父母は大津祭が行われる大津中心部で暮らしていたはずです。そんな祖父母の時代に作られた模型が状態よく残っていることに驚きました。

石橋山では宵宮に所望の練習をしていました。

Otsu Matsuri 2025 — Processionへと続く。
Otsu Matsuri 2025 — Trial Runに戻る。

The Park 956 — “Taco Rice”

The Park 956 タコライスとモーニングセット

大津祭宵宮曳きに出かける前に立ち寄った、The Park 956で前から気になっていたTaco Riceを初めていただきました。同行者はブレンドコーヒーにモーニングセット。

Taco Rice(タコライス)をWikipediaで調べると次のような記載があります。

タコライスは、タコスの具材を米飯の上に載せた沖縄県の料理である。トマトベースのサルサをかけて食べる。1984年に沖縄県金武町の新開地で誕生した。

皿に盛った白飯の上に牛挽き肉に調味料・スパイス等を加えて調理したタコミート、千切りのチーズ、レタス、トマトなどを載せたものが一般的だが、当初のタコライスは白飯とタコミートのみだった。発祥の店では、現在もチーズや野菜などはトッピングとして別料金で、ベースとなる米飯をチキンやシーフードを炊き込んだピラフとしたものなども提供されている。

米飯が隠れる程度の量はある、牛挽き肉とレタス、ニンジン、トマトは確認できましたが、チーズは載っていなかったように思います。(隠し味程度にチーズ入りだそうです。) HAISAI SAUCEとタバスコを好みでかけて食べるようです。ピリ辛付きの私は両方を試してみました。沖縄産のHAISAI SAUCEはちょっと甘味が多いのに対し、タバスコはかなり辛くて私好み。

なんでもとことん拘る店主は沖縄が好きなようで、Taco Riceも調理した人の人柄が滲み出た絶品でした。

Suzuki HUSTLER — Changing Engine Oil & Filter

Suzuki HUSTLERでの走行距離が急増した今年は、エンジンオイルとフィルターの交換が3度目になります。今回もドレンプラグを緩めるのに苦労しました。14ミリのプラグが滑ているかもしれません。

ペール缶で購入したPENNZOIL GOLD 0W-20も残り僅かになりました。

今回も廃油は近くのガソリンスタンドで引き取ってもらいました。

総走行距離:87,356km
前回交換時からの走行距離:4353.7km

Making A Cupboard — Part 7

側板用木枠で誤って切り欠きを入れてしまった部分に埋め木をします。埋め木に使用した端材はブビンガ。

こちらの埋め木はカリンの端材だったと思います。

色が異なる埋め木をすることで、失敗した欠点をデザインの特徴的利点に変えることができます、多分。

左が上で右が下になりますが、下の方に隙間があります。この部分にも埋め木をする予定です。

二枚の側板が8割ぐらいはできました。未完成なのでまだ組み立てていません。背板も板ガラスを使用する予定であり、側板の木枠に溝を切る必要があります。

Making A Cupboard — Part 8へと続く。
Making A Cupboard — Part 6に戻る。

Making A Cupboard — Part 6

もう片方の側板用木枠を加工しました。

珍しく向きを間違えずに加工できたと安堵していると、

ここで大きなミスをしでかしました。私は三次元の立体把握を大の苦手としていますが、二次元の平面でも向きを逆にすることがよくあります。特に今回のように、ガラスを使って加工する場合、仕上がった部位から順に組み立てることができないので、正しい立体把握がますますしづらくなります。

深さ5ミリの切り欠きを入れた面が間違っている。これまでなら、材にゆとりがあれば間違った部材を作り直していましたが、今回は埋め木をしてそれをデザインの一部にしようと企んでいます。

Making A Cupboard — Part 7へと続く。
Making A Cupboard — Part 5に戻る。

Making A Cupboard — Part 5

予定を少し変更して背板ではなく、側板の木枠を先に加工することにしました。この時点では側板の短辺側はまだ溝を切っていません。長辺側の枠とどのように接合するか思案中。

短辺側にも溝を切り、長辺側とは得意の相欠きで接合することにしました。

溝の穴は後で埋め木する予定です。

Making A Cupboard — Part 6へと続く。
Making A Cupboard — Part 4に戻る。

Making A Cupboard — Part 4

栗材の木枠はやはり25ミリ角で行こうと、同じ長さの角材を4本、テーブルソーで切り出しました。よく見ると切り出した角材は反っているので、修正します。

中央部分が弧を描くように迫り上がっている。墨線を引いて、平鉋で削りました。この後、テーブルソーでさらに微調整して反りを修正しました。反りを修正した時点で角材の木枠は24ミリ角になりました。

3ミリの溝切りカッターで深さ5ミリの溝を4本の角材に切りました。

磨りガラスを溝に入れて問題がないか確認中。

問題なさそうなので、次回は背面の磨りガラスを入れる溝を切る予定です。

Making A Cupboard — Part 5へと続く。
Making A Cupboard — Part 3に戻る。

The Park 956 — “Roomette” The Trailer

去年春に開店して以来、進化し続けるThe Park 956にはほぼ隔週で通うようになりました。看板メニューのサイフォンコーヒーが美味しいのは当たり前ですが、モーニングのゆで卵やトースト、ポーク玉子おにぎり(明太子付き)、それにエスプレッソをベースにしたメニュー(カフェラテ、アフォガードなど)も絶品です。

前回、訪問時に月末(9月29日)にイベント出店時に便利な待望のトレーラーが届くと言われていました。当日の夜にこっそりと確認済みだったそのトレーラーを見せていただきました。

ボディーカラーが牽引するジムニーと同色。

ジムニーのリヤバンパー付近に牽引用の金具が付けられている。

車内も見せていただきました。内装はこれから自分たちで施工するそうなので、完成するまで画像公開は控えさせていただきます。

リヤウィンドーの下に”Roomette”の文字が見えますが、”roomette”とは寝台車の個室を意味します。トレーラーの製造元は神奈川県相模原市のCROCO ART FACTORY

Otsu Matsuri 2025 — Trial Run

猩々山

天候が良ければ早朝から出かける予定でしたが、今日は夕方までずっと雨の予報だったので、昼から出かけることにしました。

猩々山

山建ての際に貴重な材が雨で濡れないようにブルーシートがかけられています。中央小学校敷地内にクレーン車を駐車させてロープを引っ張っている。

湯立山

湯立山のシートはこんな感じ。私は鈴鹿サーキットで入手した合羽とワックスを塗布した防水バケツハットを着用。今年はカメラ機材を用意していません。

湯立山

去年は早朝6時過ぎ頃から山建ての様子を写真撮影しました。

湯立山

順調に山建てが進んでいるようで、午後2時頃から曳き初めが始まります。

西行桜狸山

狸山の前を通って、天孫神社へ。

天孫神社の神輿

神輿の蔵出しは終了していました。

源氏山

京町通を西へと進み、源氏山へ。

源氏山

この辺りは路面が石畳、電柱がなく、電線は地下に埋めている。

数年前から源氏山の山建ては松井工業が担当されています。私の左が松井社長、右が娘婿。電線がないので、ブルーシートをかけるところがなく、山建てはブルーシートなしでやったそうです。屋根上に登った時、足元が滑って怖い思いをしたと言われていました。

殺生石山

中町通を東に戻り、曳き初めが始まった湯立山を追いかけました。

車を停めた大津幼稚園前の駐車場辺りで湯立山の曳き初めに参加しました。

浜通りを右折すると県庁まで登り坂になっており、曳き手不足になりがち。

滋賀県庁前の登り坂

この坂はきついので、体力消耗します。湯立山は13基の中で最も重いのではないだろうか。

湯立山

県庁前を右折して百石町通りに出ると、後は道が平坦か下りになっています。

湯立山

中町通を後退しながら玉屋町へと戻ります。

湯立山

ブルーシートの下に戻りました。

Otsu Matsuri 2025 — Yomiyaへと続く。